2016年版 旧東海道のじてんしゃ旅 東海道中輪栗毛(後) 宮宿〜伊勢

自転車に乗って伊勢神宮まで行く旅を紹介する「東海道中輪栗毛」。2016年は、フェリーを使った海路をやめ、弥次さん喜多さんが物語の中で歩いたみちのりと同じルートを自転車で走りました。後半は、宮宿から伊勢までの旅。




2015年の記事はこちら
・伊勢詣で 東海道中輪栗毛(前)由比から浜松をポタポタと
・東海道中輪栗毛(後)浜松から向かい風の渥美半島を走って伊勢へ。

タイトルの『東海道中輪栗毛』は、1800年初頭に刷られた滑稽本『東海道中膝栗毛』をもじったもの。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬(栗毛色の馬)の代わりに使う徒歩旅行という意味ですが、膝の部分を自転車の「車輪=輪」に置き換えて自転車旅行としてみた。

後半のルートは、下図の桑名から伊勢まで。

膝栗毛の主人公である弥次さんと喜多さんは、厄落としにお伊勢参りを思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐります。道中の2人は、洒落や冗談をかわし合い、いたずらを働き失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こすわけです。この記事は、その膝栗毛のエピソードと私の輪栗毛を混ぜながら、伊勢詣での旅を紹介するものです。





宮宿を出発して伊勢へ

宮宿から桑名までは、江戸時代の東海道においては唯一の海上路で、「七里の渡し」と呼ばれていて、船でしか行き来ができなかったようだ。弥次さん喜多さんは、七里の渡し船で伊勢に向かうわけだが、いま、この渡し船は存在しない。現代では道路が開通しクルマや自転車、徒歩と自由に行き来ができてしまう。あえて私は、輪行という手段を選んでみた。自走してもよかったのだが、乗り物に乗って川を渡ってみたかったのだ。

「七里の渡し」を電車で移動
「七里の渡し」を電車で移動

近鉄名古屋駅を8時に出発し、電車で輪行する。30分足らずであっという間に桑名に着いた。輪行バックに入ったバイクを組み立て、まず目指したのは、七里の渡跡だ。三重県側の七里の渡し跡はすぐに見つけられた。写真を撮って9時ちょっと前に走りだした。

宮宿に入った弥次さん喜多さん。宿の主人に、翌日に乗る舟の上では小便に困ると訴えると、主人が竹筒サービスを提案するので、頼むことに。翌朝、七里の渡しで出発し、しばらく寝ていた弥次さん、いよいよ竹筒を使うことになるが、竹筒の使い方を誤って、舟内で用を足してしまい大騒ぎに。

出立! #桑名宿 #東海道中輪栗毛

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曲尺手(かねんて)について

走りだして、まず、驚くのが桑名宿には曲がりくねった道が多いこと。江戸時代の宿場町の近くには「曲尺手(かねんて)」といわれる、直角に曲げられた道が所々あったようなのだが、その名残なのか、前日走った岡崎宿もそうだが、東海道のこのあたりの地域には曲道が多い。道を曲げることで軍事的な役割を持ったほか、大名行列同士が、道中かち合わないようにする役割も持っていたそうだが、この先の伊勢道にも似たような曲がり道が時々現れる。

曲尺手(かねんて)
曲尺手(かねんて)

 

まっすぐ走っていると、景色に飽きてしまうが、このような曲がり角があると変化があって案外と面白い。


桑名宿。ここからの伊勢までは餅街道

伊勢参りは、江戸時代は庶民の憧れであり、一大イベントだった。伊勢に向かう参詣道には、各地からの街道が接続していてたいへん賑わっていたようだ。旅人が集まるところには茶屋も集まる。桑名宿から山田宿までは様々な名物餅が生まれ、いつしか餅街道と呼ばれたそうだ。なが餅もそのひとつ。

名物なが餅 #桑名宿 #東海道中輪栗毛

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10時ちょっと前に、「なが餅」の笹井屋に到着。バラ売りをしていないということだったので、一番小さな箱に入ったものを買って店内でいただいてみた。柔らかい皮にあずきの餡が入ったシンプルなお菓子だが、携帯性に優れ、補給食としてこの後、大いに役立った。

■なが餅 笹井屋 三重県四日市市北町5-13

桑名から東海道を進み、15kmほど走ると海蔵川に突き当たる。江戸時代には、渡し船があって川向うまで行けたのだろうけど、現代は橋すらかかっていない。仕方がないので少し迂回して川を渡る。

海蔵川と交わる旧東海道ルート
海蔵川と交わる旧東海道ルート

 





四日市宿

海蔵川と三滝川を越えると、東海道五十三次の43番目の宿場である四日市宿に着く。長いアーケードの商店街の入口に「東海道」と書かれた横断幕があったので、おそらくここが東海道なのだろうな、と思いながら自転車で通過する。

四日市駅前の商店街
四日市駅前の商店街

 


伊勢街道のスタート地点、日永追分

四日市宿から4kmほど進むと日永の追分が現れる。ここは東海道と伊勢街道の分岐点。ふた手に別れた三角地帯にある石の道標には、「右 京大坂道」、「左 いせ参宮道」と深く彫られている。

東海道と伊勢道の分かれる場所 #東海道中輪栗毛 #伊勢詣り

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神戸(かんべ)、白子(しろこ)、磯山(いそやま)と旅を続けた弥次さんと喜多さんは上野の宿へとやってきた。弥次さんは、ここで東海道中輪栗毛の作者である十返舎一九の名を騙って一騒動を起こす。その時に食べるのが「こんにゃく田楽」。今も昔も庶民の味方の食べ物だ。

河原田町
河原田町

 





神戸 白子 磯山

神戸(かんべ)、白子(しろこ)、磯山(いそやま)の地名は今でも残っていて、標識に現れる。このあたりは、江戸時代にタイムスリップしたような町並みが残る。

札の辻 神戸2丁目 鈴鹿市 三重県
札の辻 神戸2丁目 鈴鹿市 三重県

 

折れ曲がった伊勢道を進むと、道は三叉路を曲尺手状にすぐ次ぎの三叉路を折れていく。最初の三叉路は高札場跡があった。高札場とは、その昔、幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目をひくように高く掲げておく場所のこと。

高札場跡
高札場跡

 

街道の要所々々には、大きな文字で行き先を示す石でできた道標が建っている。この道が伊勢参宮街道であることを示し、旅人が曲がり角の多い道に迷わないようにするためのものだ。この道標は、和田甚一郎という人が建てたものだそうで、再三倒れたのち再建され今の形となってる。この道標は高さ2メートルほどもある大きなものだ。

伊勢参宮街道の道標 #伊勢詣で #東海道中輪栗毛

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気がつかないほど小さな道標もある。

旧伊勢道の道標(左いせみち)
旧伊勢道の道標(左いせみち)

 

クネクネと曲がった道は、電車の踏切をまたいでさらに進む。

近鉄名古屋線の踏切(東千里)
近鉄名古屋線の踏切(東千里)

 

伊勢道は古い街並みが多く残っている。通りに面した家屋は格子でできていて、見ていて楽しい。連子格子、切子格子、虫籠窓など日本の伝統的な建築技術は本当に美しい。速度を落として、そのデザインを眺めながらのんびりとペダルを漕ぐ。

 

旧伊勢街道の街並み(磯山)
旧伊勢街道の街並み(磯山)

 

また追分が現れる。ここは伊勢街道と巡礼道が合流する地点。巡礼道は下街道、浜街道とも呼ばれ伊勢街道よりも古い街道とも言われている。

 

旧伊勢街道の分かれ道 巡礼道追分 栗真町屋町 津市 三重県
旧伊勢街道の分かれ道 巡礼道追分 栗真町屋町 津市 三重県

またまた、追分が現れる。月本追分は、奈良街道と伊勢街道との分岐点。ここには高さ6mもある常夜燈がある。かごや馬、徒歩で江戸時代の人たちが日夜往来していたのだろう。当時の賑やかさが想像できる。画像に写っている常夜灯は2つあるうちの1つで、高さ4.5mのもの。

月本追分 #伊勢詣で #東海道中輪栗毛

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市場庄地区の伊勢街道沿いには、格子の町並が残っていて、当時の風情を漂わせている。建物には昔の屋号を書いた表札が掲げられている。

格子戸の町並み 市場庄町

道は緩くカーブしている。自然の地形に合わせてくねった街道筋になっているものと思われる。

市場庄町  松阪市 三重県
市場庄町  松阪市 三重県



松坂

松坂に入るころには、お腹がペコペコになっていた。松坂といえば、松阪牛。手軽に松阪牛をいただけるところを探し、やっと見つかったお肉屋さんだったが、あいにくお休みだった。。。

丸中本店 松坂牛のメンチカツ
丸中本店 松坂牛のメンチカツ

松阪牛をあきらめ先に進む。伊勢市に入ると、茶屋があったので休憩した。

へんば餅本店
へんば餅本店

こし餡を柔らかい餅で包み、鉄板で薄っすらと焦げ目を付けた「へんば餅」をいただいた。素朴で美味しかった。

名物へんば餅 #伊勢詣で #東海道中輪栗毛

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伊勢神宮

15:50に伊勢神宮の外宮に到着。日没まで時間がなかったので参拝はせず、内宮へ向かう。

伊勢神宮外宮

16:30に伊勢神宮の内宮に到着。2016年も無事に伊勢神宮にたどり着くことができた。

伊勢内宮
伊勢内宮

せっかく神妙な心持ちで神宮を巡った弥次さんだったが、急に腹痛に。通りすがりの宿屋の座敷に通されると、ちょうどおかみがお産で医者を呼んだところだという。しかしこれがヤブ医者で、ウンウン唸っている弥次さんを妊婦と勘違い。馬鹿馬鹿しいやり取りを繰り広げた挙句、逃げ帰ってしまった。痛みが止まらぬ弥次さんは厠へ走る。

今回は、東海道から伊勢道へと弥次さん喜多さんが歩いた道を自転車で忠実に辿ってみた。江戸の神田に始まり東海道五十三次を行く2人は、土地土地の美味いもの食べ、酒を呑み、狂歌を詠み、ちょっぴり観光し、そして数々の失敗をする。自転車のスピードだと、2人が歩いた旅のようにはならないが、2人が見たであろう景色を見ることはできる。弥次さん喜多さんはこの後、京・大坂の見物に出かけるが、僕は、鳥羽港からフェリーに乗って渥美半島に渡り東京へ戻った。京・大坂へのルートも開拓してみたい。


過去記事(「走れ!銀座までBD-1で自転車通勤」へ遷移します)

2009年 その1 その2 その3

2010年 その1 その2

2011年 その1 その2

2012年 その1 その2 その3

2013年 その1 その2


参考:古地図・道中図で巡る東海道中膝栗毛の旅(人文社)






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