鉄道の遺構をじてんしゃで巡るシリーズ(15)は、神奈川県横浜市にある高島線(瑞穂線)を訪ねた「2026/6/6)
今回は、旅行先で出会った現役の高島線の周辺や瑞穂線を探索してみたという内容。
鉄道遺構マップ
高島線と瑞穂線とは
wikipediaには、高島線について次の記載がある。
高島線(たかしません)は、東海道本線の貨物支線のうち、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から同市神奈川区の東高島駅を経由し同市中区の桜木町駅を結ぶ鉄道路線、およびその支線の通称である。
この高島線から分岐してかつて横浜港一帯に伸びていた貨物線の一部が瑞穂線。wikipediaには、次の記載がある。
瑞穂線(みずほせん)は、かつて高島線の東高島駅(正確には千若信号場)から分岐し、横浜港の瑞穂埠頭(みずほふとう)へと伸びていた国鉄・東海道本線の貨物支線(通称:瑞穂支線)です。
ヒルトン横浜から見えた現役の高島線
横浜の居酒屋で呑んで翌日みなとみらいをサイクリングでも、と6月最初の週末にヒルトン横浜に宿泊した。
客室から外を眺めていると、真下に鉄道があった。しかも、タイミングよく列車がやって来た。調べてみると鉄道は、現役の東海道本線の貨物支線である高島線。

5年前に訪ねていた廃線・横浜臨港線と山下埠頭線は、この高島線の一部だ。高島線には他にも廃線となった路線があったはず。急遽、翌日のみなとみらいポタは、廃線跡を調査するポタに変更となった。
鉄道遺構を巡るポタ
翌朝、6時にヒルトン横浜を出て廃線跡鉄道遺構を巡るポタへ出動。

高島操車場跡
ヒルトン横浜ができたみなとみらい6丁目付近には、横浜港周辺の各埠頭や根岸線方面から集められた多数の貨車を仕分け・組み替えするための広大な操車場である高島駅(旧・高島操車場)が広がっていたという。
下図は、ヒルトン横浜の眼の前にある高島水際線公園にあった車輪の遺構。みなとみらい21の開発工事時に発見されたもの。

千若町方面に廃線跡があるらしいので向かった。
ヒルトン横浜がある西区みなとみらい6丁目から千若町までは、臨港幹線道路を進んでコットン大橋を渡れば近道だが、みなとみらい橋を渡った後の市場信号から先は歩行者・自転車が進入できない。

中央市場通りから高島線を越えて、かなり大回りになるかと思ったが、近道できそうな道(コットンみらいロード)を発見。この道は、コットンハーバー地区から中央市場通りにつながる歩行者用通路。自転車を降りて歩いてみた。

コットンみらいロードは、斜めに橋本町へ抜けられ、臨港幹線道路へ復帰することができた。目の前にはヨットハーバーがあった。

廃線・瑞穂線跡
橋本町から瑞穂大橋を渡り、千若町2丁目信号を右折すると大きなアーチ構造の水色の瑞穂橋(道路橋)が見えた。

近づいてみると、この瑞穂橋に並行して架かっている赤錆びた橋があった。これが、廃線となった瑞穂線の鉄道橋・瑞穂橋梁だ。線路も残っていた。

1934年(昭和9年)に建造された日本初の鉄道用溶接橋梁である瑞穂橋梁は、従来のボルトやリベット(鋲)留めではなく、溶接技術を試験的に導入して作られた橋として土木技術史上重要な存在のようだ。「かながわの橋100選」にも選ばれている。

瑞穂線は、長らく米軍管理下の施設としてレールや設備が残されていたが、2021年3月31日に線路敷地や関連施設が全線日本へ返還された。

日本返還に伴い、防衛省等による原状回復工事(線路や撤去設備の撤去)が進められており、長らく残っていた踏切跡や軌道敷のレールは大部分が撤去されつつあるようだ。

橋を渡った先のノース・ドッグは現在も米軍施設なので、立ち入ることも撮影することもできない。


神奈川台場跡地
瑞穂線の廃線跡を見た後は、再び瑞穂大橋を渡って星野町方面へ。江戸時代の遺構が残っているというので訪れた。星野町公園にある神奈川台場跡地は、幕末の1860年(万延元年)に横浜港の防衛を目的として築造された巨大な海上砲台の遺構。星野町公園では石垣の一部を見ることができた(下図)。

東高島駅周辺
かつての高島駅(旧・高島操車場)の東側には、東高島駅がある。

東高島駅は、JR東海道本線貨物支線(通称:高島線)上に位置し、鶴見駅と桜木町駅を結ぶルートの中継拠点となっている。現在も毎日多数の列車が通過・運転停車しているようだ。
神奈川区神奈川1丁目の開発
東高島駅北側の神奈川区神奈川1丁目地区では、現在、大規模な土地区画整備が行われている。
近い将来、約2,200戸のタワーマンション群、商業施設、医療・福祉施設、そして広大な公園・緑地が一体となった、横浜の新たな複合街区が誕生するようだ。

開発中の広大な敷地をグルッと回り、神奈川台場公園から東側を眺めてみたが、東高島駅は見えなかった。

神奈川台場跡石垣
近くにgoogleマップのレリックマークが付いたポイントがあったので、立ち寄った。
先ほど、星野町公園で見た神奈川台場跡の石垣がこちら側にも残っていた。直線距離で200m以上もあるということは、相当に大きな台場だったのだろう。

台場跡の次は、高島線の北西側を調査した。中央市場通りには、高島線の宝町架道橋が架かっていた。

さらに、西側へ移動するとポートサイド公園があり、帷子川にかかる高島線橋梁を見ることができた。

新浦島橋
東京への帰り道に、新浦島橋にも立ち寄った。新浦島橋は、高島線(および旧新興線)の線路とほぼ並行し、交差する運河に架けられた歴史的な道路橋。

「明治時代の貴重な赤レンガの遺構が残る場所」として有名らしい。

東海道本線貨物支線 高島線(瑞穂線)を訪れて

今回は、旅行先で出会った現役の高島線の周辺や瑞穂線を探索してみたという内容となった。貨物支線の高島線には、横浜臨港線や山下埠頭線、瑞穂線の他にも、新興線、海神奈川線などが存在し、現在でも廃線後の遺構を見ることができる。次回、機会があれば新興線の遺構を確認したいと思う。
参考)
東洋経済オンライン(横浜を走る「高島線」、港の発展支えた貨物ルート かつては埠頭に支線網、今もたどれるその痕跡)















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