私の住む東京には、営業距離、利用客数世界一を誇る鉄道網が整備されている。そして、その影で役目を終えて無くなってしまった路線もある。都内に残る鉄道の遺構を巡るじてんしゃの旅シリーズ(2)は、北区にある北王子線を訪ねた(2021/01/04)
都内に残る鉄道遺構マップ
北王子線は下図のブルーのライン。北王子線と須賀線がある。
北王子線とは
(wikipediaより)
北王子線(きたおうじせん)は、東京都北区の田端信号場駅と同区の北王子駅(貨物駅)を結んでいた日本貨物鉄道(JR貨物)の鉄道路線(貨物線)の通称である。正式には東北本線の貨物支線である。かつては、途中から同じく貨物線の須賀線(すかせん)が分岐していた。
北王子線は東京都北区の田端信号場駅と北王子駅の4kmを結んでいたJR貨物の路線。明治の頃より王子製紙の専用鉄道として生産された紙製品を運ぶために使われていた北王子線は、平成に入ってからも利用されてきたが、2014年3月14日の運行を最後に廃止となった。
田端信号場駅からJR王子駅までは、線路を確認することができないため、鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅は、JR王子駅から北王子駅跡地(旧北王子駅)までとなります。
廃線跡をじてんしゃで辿る
スタートは、JR王子駅。まずは廃線跡を確認。駅に隣接する歩道橋からプラットフォームを望むと、雑草と一緒に赤く錆びたレールが見えた。こんな都会の真ん中に廃線跡があることに驚く。
次は、高いところから廃線跡を確認。北とぴあという行政の建物に展望台があるというので上がってみた。地上17階からでは高さがありすぎて、廃線跡をはっきり確認することはできなかった。ちなみに、下図の画面右上にある大きな集合住宅が、かつて北王子駅があった場所だ。
地上に降りて、じてんしゃで辿ってみた。
廃線がある場所は、当然だが柵があって近づくことはできない。しかし柵に近づくと、確かに廃線跡はある。
線路をまたぐように歩道橋があったので、廃線跡を上から確認。
錆びてはいるが、廃線跡は現存している。しかし、雑草に覆われてほとんど見えなくなっている場所もある。
線路に沿って先に進むと踏切があった。廃線の踏切なので閉まることはないが、今にも警報音が鳴り出しそうなほどしっかりと残っている。
踏切は柵で覆われていて侵入できないが、朽ちた景色は見ることができる。
更に線路に沿って進むと、2つ目の踏切が現れた。第二宮江踏切だ。線路の先には、北王子駅の跡地に建てられた大型の集合住宅が見える。
第二宮江踏切にあった線路の構造物。錆びた鉄板に日本貨物鉄道のシールが同化しているようだ。
更に進むと、3つ目の踏切である第一北王子踏切がある。ここで線路が突如途切れた。
線路止めがあって線路が終わったというより、乱暴に切られた線路がアスファルトに埋まっているという感じ。
途切れた線路の先には、線路跡のモニュメントが歩道に描かれている。
線路は途切れてしまったが、線路があったであろう方向に進むと、かつて、北王子駅があった場所に辿り着く。
北王子線は、王子製紙の倉庫まで資材を運ぶために使われていた貨物鉄道。その王子製紙の倉庫跡地には、「ザ・ガーデンズ東京王子」という集合住宅が建てられている。
この建物の左端を線路が走っていたようだ。
集合住宅の門には線路のモニュメントが残されていた。
もうひとつの廃線 須賀線
第ニ宮江踏切からは、もうひとつの貨物支線が分岐していた。それが、須賀線。1971年に廃止された。
行き先は現在の豊島五丁目団地にあった須賀駅ということなので、その場所までじてんしゃで辿ってみた。
スタート地点は、第ニ宮江踏切に隣接する王子四丁目公園。この公園は、線路が分岐した形状をそのまま残している。
かつて、線路が通っていたであろう場所は道路になっている。
須賀線の痕跡を見つけることはできなかった。
須賀駅があった豊島五丁目団地の敷地にも入ってみたが、何ひとつ痕跡は見つからなかった。
中華そばを食べて帰途についた。どこかで食べた味だと思ったら、職場のある銀座でも食べていた味だった。
廃線跡 その後
2021年2月に北王子線の廃線跡が撤去されるというニュースを知り、2月21日に再び、現地を訪れてみました。
すでに撤去作業が始まっており、レールは撤去されていました。
2014年に廃線してから7年が経ち、撤去工事が始まったわけですが、撤去後はどうなるのか乗り物ニュースさんがJR貨物に聞いています。まちづくりの一環として、遊歩道として整備されるようです。
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