1997年に廃線となった信越本線新線の横川〜軽井沢区間。現在は一部が遊歩道として利用されている。シリーズ記事「鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅」6本目の記事では、この遊歩道「アプトの道」を訪ねた(2021/11/27)
「アプトの道」と並行した横川〜軽井沢区間の旧国道18号線は、何度も「直江津集合!」で上っている。途中にあるめがね橋を通過する度に、橋の上の鉄道廃線跡を歩いてみたいな、と思っていた。
その機会がようやく訪れた。
目次
信越本線の横川駅まで輪行
朝早く都内を出発して、スタート地点の信越本線横川駅まで輪行。この日は快晴で、信越本線の西松井田駅あたりでは車窓から妙義山がくっきり見えた。
10時57分に横川駅へ到着。
アプトの道とは
安中市のウェブサイトには下記の記載がある。
信越本線アプト式鉄道時代の廃線敷を利用して、横川駅~熊ノ平駅の間の約6キロメートルを遊歩道として整備されました。アプトの道は国の重要文化財である旧丸山変電所をはじめ6つの橋梁と10の隧道があり、めがね橋を代表する鉄道煉瓦構造物群などの碓氷峠鉄道遺産にふれることができます。
安中市ウェブサイト
アプトの道を歩く
注意:アプトの道は遊歩道です。自転車は走行できません。今回は、横川駅から熊ノ平駅間を自転車を押して歩きました。
駅前でじてんしゃを輪行袋から取り出し、駅のトイレで用を済ませアプトの道へ出発。アプトの道への入り口は、駅に直結しているので迷うことない。
碓氷峠鉄道文化むら
駅の横には、「碓氷峠鉄道文化むら」というテーマパークがあり、碓氷峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両、国鉄時代の貴重な車両などを展示・公開している。この碓氷峠鉄道文化むらの脇からスタート。
景色を撮影していると、古い車両が試運転なのかノロノロと走ってきた。この車両はEF63の動態保存車。
なんと、「碓氷峠鉄道文化むら」では、この本物の電気機関車の運転を一般の人が運転できるプログラムがあるのだとか。
アプトの道は、横川駅から旧熊ノ平駅までの約6.3kmの遊歩道。旧上り線の線路を活用していて線路はそのまま残されて、アスファルトで舗装されている。
ちなみにアプトの道をじてんしゃで走行することはできない。
アプトの道と反対側の旧下り線の線路は『峠の湯』までトロッコ列車が運転されている。いわば現役の廃線跡である。
丸山変電所
ゆるい上り勾配を歩いていくと、やがて目の前に旧丸山変電所の2棟の建物が現れた。
この建物は明治45年(1912)に建てられた変電所で、碓氷峠が明治末期に電化されるとき造られたものです。
以前は屋根が抜け落ちるほど朽ち果てていたそうですが、アプトの道の整備とともに修復され、現在は美しい姿へと生まれ変わりました。
変電所の前には、旧まるやま駅がある。
ホームを撮影しようと思ったら、旧下り線にトロッコ列車が下ってきた。
霧積川橋梁
鉄橋が現れた。霧積川橋梁です。
これはアプト式時代の遺構で、「碓氷第一橋梁」の名称で架かっていた橋の名残なのだそうです。遊歩道になっている旧上り線側は、現在は欄干があって安全に渡れる。
66.7‰(66.7パーミル)
ところで横川と軽井沢の距離といえば、わずか11.2kmだが標高差は552.5mもある。線路の勾配を表す記号であるパーミルでは66.7‰(1,000m走る間に66.7m登る)となる。
じてんしゃ界では、平均勾配6.67%(1,00m走る間に6.67m登る)のヒルクライムとなる。
この数字は車体の軽いじてんしゃならちょっときついなぁ、とう勾配だが、列車となるとかなりの急勾配になるのではないか。
しかも、この区間には26のトンネルと18もの橋梁がある。いかに険しい地形か想像がつく。
アプト式って?
アプトの道の「アプト」とは、鉄道の1つの方式であるアプト式のことをさす。
1893年に開業した当時、機関車がこの急勾配を登れるように、線路の中央にノコギリ型のラックレールを置き、機関車に取り付けた歯車を噛み合わせて登るアプト式のラックレールを導入した。
「アプト式」の名称は、スイス出身の機械技術者である開発者のカール・ローマン・アプト氏の名前にちなんだもの。
スイスの登山電車は、このアプト式が多い。
アプト式は1963年に廃止された。変わって粘着式という方式に変更となった。
新線跡のアプトの道はここまで
少し歩くと旧下り線を離れ、旧上り線の下をくぐる。くぐった向こう側には、『峠の湯』が現れる。『峠の湯』は、日帰りの温泉施設だ。
上り線を使ったアプトの道は一旦ここまで。この先は新線跡と別れて、旧線跡を使用したアプトの道となる。
新線跡と旧線跡というのがなかなかイメージしづらい。下図で確認するとわかりやすい(「廃線ウォーク」ウェブサイトより)。
旧線跡のアプトの道を歩く
旧線跡のアプト道をあるき始めると、すぐに重厚な石積みで組まれたトンネルが現れる。これから先、第10トンネルまで10ケ所のトンネルを通過していく。
トンネル内は照明が灯され、安全に歩くことができる。
第1号トンネルを出るとすぐに第2橋梁が現れ、その先に第2トンネルがある。トンネルの前には錆びた古いレールが放置されている。じてんしゃを立てかけるラックにちょうど良い(笑)
第2トンネルは崩落の危険があるのか、天井部分が頑丈に補強されていた。
第2トンネルを出ると、やがて碓氷湖に着く。何時か通った碓氷峠への上り道では立ち寄ることがなかった(用がない)場所だ。
第3トンネル、第4トンネルとトンネルが続く。
碓氷第3橋梁へ
第5号トンネルを抜けると、碓氷第3橋梁のめがね橋だ。ようやく訪れることができた。
碓氷第3橋梁は全長91 m、高さ31 m、使用された煉瓦は約200万個に及ぶ。現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模であり、日本で初めて「碓氷峠鉄道施設」として重要文化財に指定された。
スイスで見たランドヴァッサー橋は高さが65mなので、めがね橋より大きいが、迫力では負けていないと思う。
ラントヴァッサー橋は今でも鉄道が運行しているが、碓氷第3橋梁は鉄道が運行していない。もし、この橋に再び鉄道が通ったら。そう、想像するだけで楽しい。
一番長い第6号トンネル
26ヶ所ある碓氷線の隧道のなかで第6号トンネルは最も距離が長い(546m)。
トンネル内は微妙に蛇行している。外の光が差し込む横抗がある。
天井には穴が空いており、こちらは明り取り用の窓ではなく、蒸気機関車時代の排気口だそう。
2番めに長い橋、第6橋梁
第8号トンネルを抜けるといきなり第6橋梁だ。この橋は長さ51.9mで、第3橋梁に次いで長く、高さは17.9mもある。
翌日、旧国道から見上げてみたがそこそこの高さだった。アーチがいくつかある第3橋梁と比べると、どっしりと重厚感がある。
終点、熊ノ平駅へ
第9、第10トンネルを抜けると、熊ノ平駅に到達する。アプトの道の終点だ。
熊ノ平駅で最初に気づくことは、トンネルが4つもあること。下の画像では3つ写っていますが、一番右に、木に隠れたもう一つのトンネルがある。
アプト式時代は単線だったはずなのに、何故こんなにたくさんのトンネルがあるのか。
それは熊ノ平駅が上下列車のすれ違いをする交換駅だったから。
長い編成の列車がすれ違いの交換のために、スイッチバックをしてトンネルへ退避していたようです。なので右のトンネルは行き止まりだとか。
この駅は廃止となるまでに、アプト式単線の時代、アプト式から粘着式に移行した単線の時代、複線化した時代と辿ってきた。
熊ノ平駅はおそらく1997年の廃止時そのままの姿で残されているのではないでしょうか。初めて訪れましたが、立入禁止のロープ以外に余計な設置物がなく保存の仕方が素晴らしい。
誰でも自由に鉄道の遺構に触れることができる場所です。
始点の横川駅から終点の熊ノ平駅までじてんしゃを押して約6km歩きました。
じてんしゃにも乗る
「アプトの道」終点の熊ノ平駅からは、旧国道18号線に乗り換えてじてんしゃに跨ります。
沿道の樹木の葉は落ち寒々しい景色だったが、碓氷峠を目指すサイクリストは私以外にもいた。11月も終わろうとしているのに。
旧国道沿いにも鉄道遺構はある。信越本線新線の下り線の廃線跡だ。
第17トンネルと向かい合うトンネルも見える。17の次の第18トンネルだろう。
小さなめがね橋もありました。ここは、上り線と下り線が並行していました。
さて、じてんしゃによるヒルクライムですが、すいすいと快調に上っていけます。なにしろ、熊ノ平駅まで歩いているから脚がフレッシュなのだ(笑)
頑張ってないから呼吸は上がらないし、疲れてないから、脚もくるくる回る。景色を見る余裕もあって、ヒルクライムは楽しいんだって、久しぶりに思った。
熊ノ平から碓氷峠までは、標高差320mで距離が9.6km。あっという間に着いてしまった。
軽井沢駅の遺構
碓氷峠を越えると軽井沢駅まではすぐ。駅にも遺構があるはずと、駅に隣接する建物の階段に上がって探してみる。
ありました、ありました。ホームが残っていたので夢中で写真を撮っていると、視界に怪しげな建物が入った。
NAGANO WINE PORTAL SITE と書かれている。ワインが飲めるお店なのだろうか。
営業中だったので入店してみると、なんと店内にはホームがある。お店の人に聞いてみた。
「ここは、廃線を利用した施設ですか?」
「はい、このカフェバーは昔の信越本線、特急あさま号 の1番ホーム上にあります」とのこと。
店外のホームでも飲食ができるとのことだったので、見学だけさせてもらう(現在はコロナ禍でホーム上で飲食はできない)。
草が生えてますが、ホームです。見事に昔のままの姿で残っています。隣のホームを見ると廃線となったレールも残されていました。
wikipediaに掲載された1997年当時の画像を見ると、ホームとホームの間には、線路が3つあったようだ。
1番ホームを振り返ると車止めもあった。
1997年10月1日、長野新幹線の高崎駅ー長野駅間開業に伴い、廃止された信越本線の横川駅ー軽井沢駅の碓氷峠区間。
廃止から24年の時を経ても、まだその痕跡は残されていました。
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