シリーズ記事・鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅(8)では、京都にある加悦鉄道の廃線跡を訪ねた(2022/5/16)
目次
撮影ポイント付きルートマップ
下図の黄緑色のラインが加悦鉄道廃線跡。
加悦鉄道とは
加悦鉄道(かやてつどう)は京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮豊線与謝野駅)から、同郡加悦町(現・与謝野町)の加悦駅までを結んでいた私鉄である。かつてはニッケル鉱石も輸送したが、地元住民が自家用車利用に変わったことやニッケル鉱石輸送の終了に伴う赤字のため、1985年(昭和60年)5月1日に全線が廃止された。
ウィキペディアより
路線図
丹後山田 – 加悦間の距離は5.7 km。丹後山田駅から北側と加悦駅からの南側は日本冶金の専用線で、それぞれの距離は4.5km、2.8kmとなっている。
京都丹後鉄道宮豊線(宮津線)で与謝野駅へ
網野駅から
今回の旅は、京都丹後鉄道の与謝野駅から加悦鉄道廃線跡へアプローチ。丹後山田駅から走り出して鉱山駅で折り返して工場駅まで廃線跡を全線辿った。
前日は丹後半島を半周ポタリングして間人に滞在していたので、まずは京都丹後鉄道の網野へ移動。
窓口できっぷを購入。大きな券面の補充券が発行された。
与謝野駅へ
20分ほど電車に揺られると与謝野駅に到着する。
与謝野駅は、京都丹後鉄道宮豊線(宮津線)の駅である。なんでカッコして宮津線なのかと言うと、2015年の鉄道運行会社変更に伴って名称が変わったから。
与謝野駅はかつて丹後山田駅と名乗っていたが、運行会社が変わり野田川駅に改称されたが、再び運行会社が変わり与謝野駅となっている。
1985年までは、ここ旧丹後山田駅から旧加悦駅まで加悦鉄道が運行されていた。
与謝野駅の北側にある県道2号線を走り出し、丹後山田駅跡の少し西側から廃線跡へアプローチした。
加悦鉄道の廃線跡を走る
水戸谷駅跡
1985年に廃線となった加悦鉄道だが、現在、廃線跡は自転車道に転用され市民の生活道路として利用されている。
その自転車道を走り出す。路面には、一部レールと枕木の図柄がプリントされていた。
丹後山田駅跡から1.4kmの水戸谷駅跡に到着。駅跡には駅舎を模したようなトイレがあって風情がある。
加悦鉄道にはずいぶん急なカーブもあったようだ。
丹後四辻駅跡
水戸谷駅跡から1.2kmの丹後四辻駅跡に到着。この駅は加悦鉄道内で唯一の交換駅だったそう。
加悦谷高校前駅跡
丹後四辻駅跡から0.9kmの加悦谷高校前駅跡に到着。加悦鉄道開業時には無い駅だったが、学校関係者などからの要望で設置された駅だそう。
三河内口駅跡
加悦谷高校前駅跡から0.6kmの三河内口駅跡に到着。こちらも開業時にはなかった駅。
丹後三河内口駅跡
三河内口駅跡から0.5kmの丹後三河内口駅跡に到着。駅名と景色が似ていて混乱する(笑)
丹後三河内口駅は、丹後ちりめんを主体とした貨物の取り扱いも行っていたようだ。
加悦駅跡
丹後三河内駅跡から1.1kmの加悦駅跡に到着。
加悦駅は加悦鉄道の終着駅。転車台や車庫、本社事務所なども併設されていた。
加悦駅跡の前には移転された旧加悦駅駅舎がある。現在は加悦鉄道の資料館となっている。訪れた日は残念ながら閉館していた。
加悦鉄道資料館は2001年(平成13年)に建物の曳き移転と修理が行われて現在の姿となった。
下の画像は廃止前の加悦駅構内を写したもの(wikipediaより)。
資料館の横には加悦2号蒸気機関車が展示保存されていた。
駅舎から少し離れたところに転車台跡もあった。
かつて加悦駅構内には鉄道保存展示施設「加悦SLの広場」があった。転車台も残っていたようだが、1996年(平成8年)に「加悦SLの広場」が大江山鉱山駅跡地に移転された際に移設された。この円形広場は転車台のメモリアルとして残しているそうだ。
加悦駅から1.3kmほど走ったところに廃レールを利用した柵が残されていた。
桜内駅跡
加悦駅から大江山鉱山駅までの区間は日本冶金工業の専用線となる。
加悦駅跡から1.4kmの桜内駅跡に到着。
大江山鉱山駅
桜内駅跡から1.1kmの大江山鉱山駅跡に到着。
ここには、加悦駅構内から移設された鉄道保存展示施設「加悦SLの広場」がある。しかし残念ながら2020年(令和2年)3月に閉園している。
私は閉園していることを知らなくて、到着するのを楽しみにしていたのでブルーシートが掛けられた車両を見たときには落胆した。
園の入り口は閉じられ、「無断で侵入した場合は警察に通報する」という穏やかでない文言が掲示されていた。遠くから眺めることはできたので観察すると、転車台が!
大江山鉱山駅は、大江山で発見されたニッケル鉱山を運ぶために加悦駅から2.6km延伸された貨物専用線(大江山線)の駅。その後、鉱山の採掘が休止し貨物専用線は廃止された。
「加悦SLの広場」営業時、人が訪れて賑やかだったであろうこの場所は、今ではひっそりしていた。
折り返して丹後山田駅へ
丹後山田駅から北側の4.5kmは未走行なので、来た道を戻って丹後山田駅へ向かう。
野田川にはコンクリート製の古い橋がかかっていた。当時のものか定かではない。
滝川にも橋がかかっていた。いかにも鉄道用なので当時のものだろう。ちなみにこの橋梁はプレートガーター橋というそうだ。
丹後山田駅跡付近まで戻ってきた。廃線跡にできたサイクリングロードは所々急なカーブがあるが、線路はこんなに曲がってなかっただろう。
丹後山田駅跡
加悦鉄道は、ここ丹後山田駅で国鉄と連絡していた。
丹後山田駅は単式・島式の複合型2面3線のホームを持ち、列車交換や折り返しが可能な地上駅だった。
下の画像は加悦鉄道資料館のジオラマを撮影したものだが、左側から国鉄の線路、加悦鉄道1番線、加悦鉄道2番線、専用鉄道岩滝線だったようだ。
駅舎は単式ホーム側にあり、丹後ちりめんの産地であることにちなみ、着物の襟をかたどった屋根が特徴的だったんだとか。
加悦鉄道のホームは残されていて今でも立ち入ることができる。
工場駅へ
丹後山田駅跡から北東側に廃線跡が距離4.5kmほど伸びている。工場駅までの専用鉄道岩滝線だ。
途中、丹後山田駅跡から北に700m走った場所に古びた踏切遮断機があった。朽ち果て具合から営業当時のものであろう。
京都縦貫自動車道と交差したあたりから、自転車道が不明瞭となり廃線跡を見失ってしまう。
工場駅と思われる方向へ走ってみたが、どうやら廃線跡から少しずれた場所を走っていたようだ。
日本冶金工業の工場を見つけたので、加悦鉄道の工場駅はその辺りかと思ったが、実際にはだいぶ手前だったようだ。
いずれにしても、野田川に架かっていた橋梁は無くなっていたので廃線跡をじてんしゃでトレースすることはできなかったわけだ。
日本冶金工業 大江山製造所をゴールとして加悦鉄道の廃線跡を辿る旅を終えることにした。
天橋立駅から輪行して京都駅へ
天橋立駅まで少し走って帰途につく。
京都丹後鉄道で福知山駅まで行き、JR特急きのさきで京都へ戻った。
この日は東京へは戻らず京都駅に宿泊。バイクを部屋に置いて、シャワーを浴びたら夕飯だ。駅近くに良い居酒屋があったので吸収される。
加悦鉄道廃線跡を走ってみて
新幹線とローカル線でじてんしゃを輪行して丹後半島を訪れた。その帰り道に加悦鉄道の廃線跡を訪ねた。
加悦鉄道廃線跡はそのほとんどが自転車道に転用され、市民の生活道路として利用されていたが、駅があった場所には案内板が設置され当時のことを知ることができた。
丹波山田駅と加悦駅跡には鉄道に関する資料が展示されていたり、大江山鉱山駅には営業を終えているが、車両や転車台なども残されていたので、鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅としてはなかなかの収穫があった。
機会があれば、丹波山田駅から工場駅までの廃線跡をもう一度走ってみたい。
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