鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅(8)沖縄・軽便鉄道与那原線

シリーズ記事・鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅(8)では、沖縄県にある軽便鉄道与那原線の廃線跡を訪ねた(2022/6/25)

撮影ポイント付きルートマップ

実際に走行したルートは赤いライン。廃線跡と思われるのがピンクのライン。

軽便鉄道 与那原線とは

沖縄には、かつて鉄道が走っていた。那覇から嘉手納・糸満・与那原の3方面に路線網が敷設されていたのだ。

路線には「軽便(けいべん)鉄道」と呼ばれる、一般の鉄道よりも軌間の小さな車両が走っていた。沖縄県民からは「ケイビン」「ケービン」という愛称で親しまれ、人々の生活と経済を支え続けてたそうだ。ところが、戦争によって全てが破壊されてしまい現在はその姿がほとんど残っていない。

与那原線についてはウィキペディアに以下のとおり記載されている。

与那原線(よなばるせん)は、現在の沖縄県那覇市にあった那覇駅と、島尻郡与那原町にあった与那原駅を結んでいた、沖縄県営鉄道の鉄道路線。1914年(大正3年)に県営鉄道の最初の路線として開業したが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に運行を停止。沖縄戦で線路施設が破壊され、そのまま消滅した。

wikipediaより

那覇駅跡から与那原駅跡まで廃線跡を辿る

起点の那覇駅跡には遺構が残っていた

那覇駅は、1945年の沖縄戦による破壊や戦後のバスターミナル建設によって当時の施設は全く残っていないと思われていた。

ところが2016年の再開発工事中に当時の遺構が発見され、調査した結果、遺構は機関車を方向転換させるための「転車台」であることがわかった。

那覇駅跡
8-1:那覇駅跡

転車台の遺構はコンクリートの基礎とその上にレンガを積み上げたドーナツの形をした構造だった。

那覇駅跡 転車台遺構
8-1:那覇駅跡 転車台遺構

大きさは直径約6.8m、高さが最大1.1mで基礎の地中には木杭が多数埋め込まれていた。これは那覇駅一帯が埋立地で軟弱な地盤だったため転車台の沈下を防ぐ工事だったと考えられている。

発見された転車台の遺構は、近代沖縄の交通の歴史、建築、土木技術などを知ることができる貴重な文化財として保存され、那覇駅跡に常時展示されている。

那覇駅跡
8-1:那覇駅跡

9.4km離れた与那原駅跡へ

午前8時、与那原線の起点である那覇駅跡を出発して、9.4km離れた与那原駅へ向かう。

廃線跡 那覇市泉崎付近
8-1:那覇駅跡 現在は那覇バスターミナル

国道330号線(壺川通り)に並行して走る1本北側の細い路地が廃線跡のようだ。少し曲がりながらも伸びるその路地は、鉄道の遺構らしきものは見当たらないが、廃線跡だと感じることができる。

廃線跡 那覇市泉崎付近
8-2:廃線跡 那覇市泉崎付近

廃線のレールが残る壺川東公園

壺川東公園という小さな公園に着いた。ここにも遺構が残っているということだったので停車して見学することにした。

壺川東公園
8-3:壺川東公園

この壺川東公園は当時、那覇駅と古波蔵駅の間に位置している。公園の工事の際に出土したという軽便鉄道のレールが展示されている。

ブルーのディーゼル機関車は南大東島でサトウキビを運搬するために使われていたものだとか。

壺川東公園 車両は別の鉄道路線に使われていたディーゼル機関車
8-3:壺川東公園 車両は別の鉄道路線に使われていたディーゼル機関車

冒頭にも書いたが、当時の軽便鉄道は3路線あった。那覇を起点に、東海岸の港街である与那原町を結んだ与那原線と嘉手納町までを結んだ嘉手納線、そして糸満線だ。下図はその路線図。

当時の軽便鉄道の路線図
当時の軽便鉄道の路線図
与那原線、嘉手納線、糸満線の路線図
与那原線、嘉手納線、糸満線の路線図

1945年の沖縄戦で破壊されてしまった軽便鉄道は、さらにその後に起こった朝鮮戦争により、壊れた車両やレールなどが鋼材不足のスクラップとして供給されてしまった。

壺川東公園 廃線のレールが残っている
8-3:壺川東公園 廃線のレールが残っている

この公園にあるレールは、土中に埋まって見つからなかったのでスクラップにならず現在まで残ったわけだ。

壺川東公園 土の中から出てきたレール
8-3:壺川東公園 土の中から出てきたレール

古波蔵

旧那覇駅の次は旧古波蔵(こはぐら)駅。駅があった場所は下の画像を撮影した場所の左手。

与那原線の線路は、前方に見える緑地を突き抜け右側を走る国道に沿って伸びている。

嘉手納線はここ古波蔵駅で与那原線と分岐し北に上がっていく(下図の左の道路方面)。

旧古波蔵駅付近
8-4 :旧古波蔵駅付近

壺川大通りから古波蔵大通りに名前を変えた国道507号線の北側の細い路地を入ったところに、廃線跡らしい路地があった。廃線跡は下図の三叉路の右側。

国道507号線から古波蔵の北側の細い路地を入ったところ
8-5:国道507号線から古波蔵の北側の細い路地を入ったところ

現在は住宅が並んだ狭い路地となっている廃線跡だが、営業当時はどの様な景色だったのだろうか。

国道507号線の北側を平行して走る廃線跡
8-6:国道507号線の北側を平行して走る廃線跡

狭い路地は右にカーブして古波蔵大通りに出てしまう(下図8-7)。しかし廃線跡はそのまま直進し、古波蔵大通りを斜めに横断して大通りの対向車線側と長堂川の間に伸びていく。

古波蔵東交差点に出るカーブ
8-7:古波蔵東交差点に出るカーブ

真玉橋遺構

真玉橋北交差点まで来たところでちょっと寄り道。交差点から長堂川の左岸側に渡ったところに真玉橋(まだんばし)遺構がある。

真玉橋遺構
8-8:真玉橋遺構

真玉橋は、曲線の5つのアーチが連なる橋。橋脚部には、川の流れによる水圧を弱めるためにスーチリ(潮切り)が設けられいる。こちらも1945年の沖縄戦で破壊された。

1996年に戦後作られた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が現れ、遺構が保存されている。ちなみに軽便鉄道の橋ではない。


国場駅付近

再びルートに戻り廃線跡を探すが見つからない。下図(8-9)の撮影ポイント辺りに国場駅があったようだが、その面影はない。廃線跡は道路の右側(建物のある場所)に真っすぐ伸びていたようだ。ちなみに糸満線はここ国場駅で分岐して右方面に南下していく。

国場駅跡付近
8-9: 国場駅跡付近

廃線跡が無いかと脇の路地に入ってみるが成果はなかった。ただ、泡盛で有名な久米仙酒造を見つけたのは良い成果だった。

久米仙酒造
8-10:久米仙酒造

国道507号線の南側に通っていた廃線跡を見つけようと、細い路地を何度か行き来しているうちに遂に廃線跡と思われる場所に出た(下図8-11)。

国道507号線南側の廃線跡と思われる路地
8-11:国道507号線南側の廃線跡と思われる路地

一日橋駅と鉄橋

廃線跡に沿って進むと、上間の大きな交差点に出る。ここにはかつて一日橋駅があった。

一日橋も1945年の沖縄戦で破壊された。終戦直後、米軍により鉄橋が架けられたが、その後、橋より50mほど上流に架けられていた与那原線の鉄橋跡を利用して、那覇と与那原を結ぶ道路(現国道329号)が開通し一日橋として架け替えられた。

与那原線の鉄橋が架かっていたのは下図(8-12)の前方に見える国道329号の一日橋辺り。

国場川に橋が架かっていいたと思われる場所
8-12:国場川に橋が架かっていいたと思われる場所

国場川にかかっていた鉄橋を越えると、廃線跡は国場川の左岸側に沿って伸びていく。

南風原(はえばる)町に入り、マックスバリュー一日橋店がある辺りから再び廃線跡らしき場所が現れる。

マックスバリュ一日橋店裏の廃線跡らしき場所
8-13:マックスバリュ一日橋店裏の廃線跡らしき場所

川沿いのギリギリの路地に線路が通っていたのかわからないが、この辺りが廃線跡らしい。

マックスバリュ一日橋店裏の廃線跡らしき場所
8-14:マックスバリュ一日橋店裏の廃線跡らしき場所

軽便橋

一日橋液の次の南風原(はえばる)駅の手前に小さな橋があった。復元された軽便鉄道の鉄橋「軽便橋」だ。

軽便橋
8-15:軽便橋

軽便橋を渡ると廃線跡を見失ってしまうが、兼城交差点を過ぎて国道329号線の北側に1本入った通りで再び廃線跡を見つけた。

兼城交差点を過ぎた辺りから廃線跡らしき路地がある
8-16:兼城交差点を過ぎた辺りから廃線跡らしき路地がある
国道329号線北側の廃線跡らしき場所
8-17:国道329号線北側の廃線跡らしき場所

廃線跡は大きく右に弧を描き、国道329号線から国道506号線へ斜めに伸びていく。

国道329号線から国道506号線へ斜めに走っている廃線跡らしき場所
8-18: 国道329号線から国道506号線へ斜めに走っている廃線跡らしき場所

さとうきび畑の中を走る廃線跡

国道506号線を跨ぐと廃線跡はしばらく真っ直ぐな路地となる。周辺にはさとうきび畑が広がっていた。

国道506号線を横切りさとうきび畑の中を走る廃線跡
8-19:国道506号線を横切りさとうきび畑の中を走る廃線跡

旧大里駅跡

さとうきび畑が広がる真っ直ぐな道を進むと、今度は北東方向へカーブする。そのカーブする曲がり角に旧大里駅跡がある。ただし駅舎の痕跡は何も残っていない。

旧大里駅跡付近
8-20:旧大里駅跡付近

旧大里駅跡を過ぎ北東方向へ進む。廃線跡は道路に沿ってなくて下図(8-21)の水路に沿って通っていたようだ。

与那原警察署脇の水路
8-21:与那原警察署脇の水路

水路をすぎると、廃線跡は教会と警察署の敷地を通り、再びカーブを描きながら東へ向かう。どちらの敷地にも勝手には入れないから廃線跡があるか確かめることはできなかった。

与那原警察署の中を通る廃線跡か
8-22:与那原警察署の中を通る廃線跡か

カーブを描きながら教会と警察署の敷地を通った廃線跡は、東に方向を変えやがて終点の与那原駅に着く。

下図(8-23)は、廃線跡と思って撮影した路地だが、一本筋が違っていたようで廃線跡ではなかった。

廃線跡と思って撮影した路地(廃線跡ではなかった)
8-23:廃線跡と思って撮影した路地(廃線跡ではなかった)

旧与那原駅舎跡

午前10時、旧与那原駅跡に着いた。旧那覇駅から9.4kmの廃線跡探しの旅が終わった。

旧与那原駅跡には、駅舎が復元されて軽便鉄道の資料館として使われている。100円の入場料を支払って見学させてもらった。

与那原町立 軽便与那原駅舎・展示資料館
8-24:与那原町立 軽便与那原駅舎・展示資料館

資料館の入り口では、馬車スンチャー(荷馬車)の三郎オジーが出迎えてくれる。館内には営業当時の写真や路線図、年表といった大型パネルが展示されている。

与那原町立 軽便与那原駅舎・展示資料館
8-24:与那原町立 軽便与那原駅舎・展示資料館

走リ終えてみて

今回は那覇から与那原まで軽便与那原線の鉄道遺構を辿ってみた。ほとんどの鉄道施設は、1945年の沖縄戦によって破壊され消失していたが、地中に埋まっていたものが近年発掘されて、一部が復元され展示してあった。

最後の与那原駅舎は、コンクリート構造だったため激しい戦火に耐えわずかながら形を残した。その後の復興の中で、建物は消防署・町役場・農協と町の建造物として使用されてきたそうだが、2013年に農協の移転に伴い展示資料館として駅舎を復元している。

旧那覇駅の転車台跡や壺川東公園のレール、展示資料館として復元された与那原駅舎は、今後、鉄道の施設として活躍することはないと思うが、人々にかつて沖縄にあった鉄道の足跡として記憶され続けることでしょう。

資料館の入場券
資料館として那原駅舎が復元された年は、1914年に軽便与那原線が開業して99年目なのだとか

参考サイト:

廃線探索 沖縄県営鉄道与那原線

与那原町立軽便与那原駅舎



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