12-10:嶽神社前の廃線跡

鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅(12)たばこの葉を運んだ湘南軽便鉄道(湘南軌道)

シリーズ記事・鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅(12)では、神奈川県にある湘南軽便鉄道を訪ねた。(2024/6/9)

湘南軽便鉄道(湘南軌道)とは

ウィキペディアには下記の記載がある。

湘南軌道(しょうなんきどう)は、かつて神奈川県に存在した軽便鉄道およびその運営会社である。

秦野で産出されていた葉タバコを東海道線の二宮まで輸送することを主目的として建設され、大正期には賑わいを見せたが、1921年(大正10年)秦野自動車(現在の神奈川中央交通)の営業開始、関東大震災の被災、1927年(昭和2年)の小田原急行鉄道(現在の小田急小田原線)の開通などを経て衰退し、旅客営業休止、路線休止を経て1937年(昭和12年)に廃止された。

現在では廃線跡の遺構はほとんど残っていない。

wikipedia

ルートマップ(撮影ポイント付)

湘南軌道(湘南軽便鉄道)の廃線跡はグリーンのライン。薄いグレーの線が実際に走った跡。

廃線跡を辿る

秦野駅

スタート地点は小田急線秦野駅から北に1kmほど離れた県道704号線沿にある石柱。ドコモショップ前の「下宿」をいうバス停前に「軽便みち」と刻まれた石柱はあった。

今から87年前まで、湘南軌道(湘南軽便鉄道)はここ秦野駅から東海道線の二宮駅まで走っていた。

12-01:「軽便みち」の石柱
12-01:「軽便みち」の石柱
12-01:「軽便みち」の石柱
12-01:「軽便みち」の石柱

バス停を背に北東に進み、最初に対面する信号を右に曲がり、幅の狭い道を進むと旅のスタートだ。

12-02:住宅街となった廃線跡
12-02:住宅街となった廃線跡

始点の秦野駅近くの廃線跡は住宅地となっているため、まずは龍門寺のあたりまで回り道をする。

12-03:龍門寺前の廃線跡
12-03:龍門寺前の廃線跡

上図の龍門寺東側の道路は廃線跡のようだ。

12-04:山口屋酒店前の廃線跡
12-04:山口屋酒店前の廃線跡

山口屋酒店前を通過して廃線跡を南に下り、県道62号線に出ると最初の停車駅となる。

台町駅跡

開通当初、秦野駅はここにあったようだ。「1921年に軌道延長工事によって、秦野駅は専売局前に移され、台町駅と駅名が変わった」と記念碑に書いてあった。

12-05:石材店を突っ切る廃線跡
12-05:石材店を突っ切る廃線跡
12-06:「台町駅」跡を示す記念碑
12-06:「台町駅」跡を示す記念碑

石材店とその先の住宅地に消えた廃線跡は、その後、水無川通りと水無川を横切る。

12-07:水無川を渡る廃線跡
12-07:水無川を渡る廃線跡

さらにその先にある室川も越え、廃線跡は養泉院の脇から再び現れた。

12-08:養泉院前でカーブする廃線跡
12-08:養泉院前でカーブする廃線跡

養泉院から先は道路に転用された廃線跡を辿っていく。

12-09:「軽便みち」を記す石柱と廃線跡
12-09:「軽便みち」を記す石柱と廃線跡

大竹駅跡

嶽神社の少し先に2つ目の駅、大竹駅跡はあった。

12-10:嶽神社前の廃線跡
12-10:嶽神社前の廃線跡

記念碑を見ると、線路の横に幅の広い道路もあったようだ。また、大竹駅には蒸気機関車に鈴を供給する水槽や待避線の施設が設けられていた、とある。

12-11:「大竹駅」跡の記念碑
12-11:「大竹駅」跡の記念碑

廃線跡は、何かを避けるようにカーブしながら県道71号・秦野二宮線を跨いだ。

12-12:カーブする廃線跡
12-12:カーブする廃線跡

そして、再び、県道71号・秦野二宮線を跨いだ。

12-13:秦野中井インター前の歩道橋と廃線跡
12-13:秦野中井インター前の歩道橋と廃線跡

そして、旧県道69号線方面へカーブして進んでいった。

12-14:秦野二宮線を横切って旧県道69号線方面へ進む廃線跡
12-14:秦野二宮線を横切って旧県道69号線方面へ進む廃線跡

ちなみに、じてんしゃで秦野から二宮に移動する時はアップダウンが多い県道71号・秦野二宮線がよく使われるが、この廃線跡を転用した道路は交通量が少なく起伏も無いので走りやすい道となる。

上井ノ口駅跡

秦野駅から3つ目の駅、上井ノ口駅跡に到着。

12-15:「上井ノ口駅」跡と廃線跡
12-15:「上井ノ口駅」跡と廃線跡

記念碑には「付近は坂が多かったことから、客が降りて登りきれない列車を後押しするのどかな光景が見られた」との記載が。大正はスローな時代だったんだな。

12-16:蓑笠神社と廃線跡
12-16:蓑笠神社と廃線跡

旧県道69号線を進む。

下井ノ口駅跡

秦野駅から4つ目の駅、下井ノ口駅。上井ノ口駅との中間地点には、列車を入れ替える「すり替え場」が設けられていた、と記念碑に記載があった。

すり替え場とは、今で言うところの操車場なんだろうか。

12-17:「下井ノ口駅」跡の記念碑と廃線跡
12-17:「下井ノ口駅」跡の記念碑と廃線跡

廃線跡は、道路に転用された訳だから道路と一致すると思われたが、違う部分もあったようだ。

12-18:浄源寺前の廃線跡
12-18:浄源寺前の廃線跡

下図は廃線9年後と2019年に撮影された下井ノ口駅周辺の航空写真。2つを比べると廃線跡と道路は一致しているように見える。

出典:国土地理院撮影の空中写真(1946/02/15撮影)
出典:国土地理院撮影の空中写真(1946/02/15撮影)
出典:国土地理院撮影の空中写真(2019/10/01撮影)
出典:国土地理院撮影の空中写真(2019/10/01撮影)

一色駅跡

一色駅があった場所は、現在は石材店となっていた。

一色駅跡の手前には防災コミュニティセンターがあったが、ここには昭和40年まで分校として使われてた旧一色小学校があったそうだ。

12-19:「一色駅」跡と廃線跡
12-19:「一色駅」跡と廃線跡

中里駅跡

旧県道69号線は二宮高校前で再び県道71号・秦野二宮線と合流する。そして、国道271号線(小田原厚木道路)を潜ると中里駅跡に着いた。

12-20:「中里駅」跡と廃線跡
12-20:「中里駅」跡と廃線跡

「中里歩道橋」信号がある交差点付近で、中里駅跡の記念碑が見つからなかった。交差点の反対側にも探しに行ったが見つけることはできなかった。

東海道新幹線と交差する。

12-25:東海道新幹線と交差する
12-25:東海道新幹線と交差する

そして、いよいよ終点の二宮駅となる。

12-21:カーブを描く廃線跡
12-21:カーブを描く廃線跡

二宮駅跡

秦野駅から距離10km、標高差80mを克服し終点の二宮駅跡に到着。

12-22:「二宮駅」跡の手前
12-22:「二宮駅」跡の手前

記念碑の北側(下図バイクの後輪側)にある「湘南軽便駐輪場」が湘南軌道株式会社の本社建物があった場所。現在、建物上部は取り壊されて無くなっている。

12-23:「二宮駅」跡と湘南軌道株式会社・二宮本社屋跡
12-23:「二宮駅」跡と湘南軌道株式会社・二宮本社屋跡
12-23:「二宮駅」跡と湘南軌道株式会社・二宮本社屋跡
12-23:「二宮駅」跡と湘南軌道株式会社・二宮本社屋跡

下図は、湘南軌道の管理人様によって制作された湘南軌道本社社屋のジオラマ。何と2年の歳月をかけて完成されたとか。

当時の様子がよく分かる貴重なものだと思います(許可を得て転載)。

湘南軌道本社社屋ジオラマ
湘南軌道本社社屋ジオラマ

湘南軽便鉄道(湘南軌道)跡を走り終えて

秦野で産出されていた葉タバコを東海道線の二宮まで輸送することを主な目的として建設された湘南軽便鉄道(湘南軌道)の廃線跡を辿ってみた。遺構は殆ど残されていなかったが、転用された道路をじてんしゃで走ってみると、90年ほど前に運行していた軽便鉄道の姿を想像することができた。

2014年に秦野市・中井町・二宮町・大磯町により、湘南軽便鉄道(湘南軌道)の動力化100周年を記念した「湘南軽便鉄道1世紀記念事業」の一環として、「軽便鉄道と東海道メモリアル展」が開催され当時の写真が多数展示されたようだが、再度開催して欲しいものである。

12-24:東海道線二宮駅
12-24:東海道線二宮駅

参考サイト:

カナロコ #01 湘南軌道(湘南軽便鉄道) 葉煙草を運んだ軽便鉄道

マイナビニュース 神奈川県「秦野駅」からJR二宮駅へ、湘南軽便鉄道の廃線跡を歩く

秦野市 軽便鉄道歴史の旅

湘南軌道ジオラマ

参考図書:湘南軽便メモワール(渡邊喜治 著)


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