私の住む東京には、営業距離、利用客数世界一を誇る鉄道網が整備されている。そして、その影で役目を終えて無くなってしまった路線もある。都内に残る鉄道の遺構を巡るじてんしゃの旅シリーズ(1)は、東京都港湾局専用線を訪ねた(2020/12/13)
都内に残る鉄道遺構マップ
旧万世橋駅
都心に残る鉄道遺構で有名なのは、旧万世橋駅跡だ。現在のJR中央線 神田駅と御茶ノ水駅の間にある。現在はショッピングモール「マーチエキュート神田万世橋」になっている。
万世橋駅は1912(明治45)年4月に中央本線の始発駅として開業したが、7年後に東京駅が開業したため中間駅となった。その後、1943(昭和18)年に万世橋駅は休止となり廃駅となっている。
東京都港湾局専用線
東京都港湾局専用線は、かつて東京港に敷設されていた東京都港湾局運営の専用鉄道。物流の主役がトラック輸送に移行したため1989年(平成元年)に全廃となった(ウィキペディアより)。
越中島支線
東京都港湾局専用線には、いくつか支線がある。その一つが越中島支線。
越中島支線は、前述のとおり1989年に廃線となったが、その後、JR東日本が総武本線の貨物線として小岩駅から越中島貨物駅間の11.7kmを営業している。
越中島支線は営業している貨物線なので、廃線ではないし、鉄道施設は遺構ではない。なので本来この記事で取り上げるべき路線ではない。
しかし実際に訪れてみると、(一日3往復の)貨物列車に出会うことはないし、橋梁などがいかにも廃線という雰囲気なので失礼ながら掲載させてもらった。
ちなみに、越中島支線というのは通称のようだ。
亀戸一丁目の交差点から越中島貨物駅まで走ってみた。線路に沿った道路がないので、ジグザグに走りながら進む。
小名木川にかかる橋も線路に沿った道路がないので、横十間川と交差する橋まで迂回する。
南砂線路公園だ。江東区が建てた看板に次のような説明があった。
この公園は、日本貨物鉄道株式会社の線路跡地を利用した公園で、間近で貨物列車が見学できることから、「南砂線路公園」と名付けました。貨物列車は、江東区塩浜二丁目にある越中島貨物駅(JR東日本のレール置き場)と葛飾区にある新小岩操駅の間を日曜日を除き、1日3往復運行しており、レールを輸送するディーゼル機関車を見ることができます。
しばらく走ると、道が右に折れ汐浜運河と汐見運河に囲まれた越中島貨物駅に着く。同じ敷地に東京メトロの深川基地もある。残念ながら敷地内には入れないので塩浜通り沿いに走ってしおかぜ橋に向かう。
貨物駅敷地の端を左折するとがループ橋が現れ、それを下ると、しおかぜ橋だ。
東京都港湾局専用線 越中島支線はここで終わる。ここから先は晴海線が豊洲・晴海方面へ伸びている。
越中島支線と晴海線は越中島貨物駅で分断されている。
晴海線
ここからは、東京都港湾局専用線の晴海線に沿って走ってみる。晴海線は越中島支線と違い、現在は使用されていない鉄道路線、つまり廃線なので自転車で走るための目印である線路がほとんど無い。事前に調べておいた廃線跡を辿って、遺構を探しながら進んだ。
豊洲方面に向かう。
かつて橋梁があった場所に橋台だけが残る場所があった。
この歩道も廃線跡のようだ。線路はこの先に交差している晴海通りの手前を右に折れるようだが、その場所には巨大な商業施設があって何の痕跡も見つけられなかった。
豊洲と晴海の間の晴海運河を渡す春海橋の横に、晴海線の橋梁がかかっている。この橋には線路が残っている。
晴海橋梁は、赤茶色く錆びた鉄道橋(廃橋)だ。
晴海橋梁は、東京都港湾局専用線が全廃となったと同時に廃止となったが、撤去されずに当時の姿のままの遺構として現存している。、晴海橋梁の古びた姿は、高層住宅が次々に建設され開発が著しいこの地区にあって異様に映る。しかし運河がある街のひとつの景色として、ぜひ残して欲しいと思う。
東海道本線貨物支線
最後は、銀座に残っている廃線跡を辿る。
東海道本線貨物支線は、現在の港区新橋にあった汐留駅から中央区築地にあった東京市場駅までの1.1kmの貨物路線。
築地市場の外周に平行して大きなカーブを描いて線路が敷設されていて、主に水産物、青果物などの生鮮食品を輸送していたようだ。
浜離宮前に踏切がポツンと残っている。踏切の台座部分に説明板があり次のように記されている。
この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されていました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止とともに引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
旧新橋停車場があった場所の一部は、2003年に汐留地区の開発とともに「旧新橋停車場」という鉄道の歴史を展示するJR東日本の施設になった。
施設の展示室1Fには、開業当時の駅舎基礎石の遺構が展示されている。裏手には、鉄道の起点であった「0哩(マイル)標」が当時と全く同じ位置に再現されており、当時のレールが数メートルだけ敷設されている。
私は18際の頃に、汐留駅を訪れたことがある。当時、私は運送会社のトラック助手のアルバイトをしていた。1982年の頃だ。汐留駅は1986年に廃止されたので、廃止される4年前に訪ねたということになる。
普段は、貨物列車のコンテナを平塚駅で受け取り、近場の工場などにトラックで届けるのが主な業務だったのだが、その日はなぜか東京の汐留駅に連れて行かれた。
仕事の内容は、いつもと同じようにコンテナの荷物をトラックに詰め替えることだったが、待機時間にだだっ広い貨物駅の片隅で読書をしたという記憶がある。その場所にはホームがあった気がする。
本なんか読んでないで、いろいろと探索すればよかったと、今頃になって思う。