日本橋 朝之景 歌川広重&こみゅ 

まさに大江戸じてんしゃ三昧!旧東海道編

日本橋をスタートして、旧東海道をポタリング。品川宿など旧所・名跡を巡りつつ、江戸の味に舌鼓を打ったり、江戸百景を訪れたりとまさに大江戸じてんしゃ三昧!

大江戸じてんしゃ三昧ブログより転載


大江戸じてんしゃ三昧「旧東海道 篇」概要

  • 催日:2010年3 月13日(土)
  • 集合時間:9時 30分
  • 集合時間:9時 30分
  • 解散場所:東横線・ 中目黒駅付近
  • 企画・コース設定:てっちゃん、コミューター

参加者は17名

てっちゃん、陽ちゃん、りまちゃん、ダイクーさん、すーさん、しんさん、K部長、戸塚のさくまさん、akaneさん(途中離 脱)、みゆちゃん、ひかちゃん、でっちーさん、しんすけさん、こがわらさん、まいちゃん、花岡さん、、コミューター


江戸百景(今昔)

『名所江戸百景』は、浮世絵師の歌川広重が安政3年(1856年)2月から同5年(1858年)10月にかけて制作した連作浮世絵名所絵。現代の景色と比べてみた。

Youtubeムービー

日本橋江戸ばし

日本橋江戸ばし
日本橋江戸ばし

日本橋が初めて架けられたのは、徳川家康が幕府を開いた1603年。

江戸時代、諸国への行程は日本橋を起点としていたが今もここは道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。


京橋・竹がし

京橋・竹がし
京橋・竹がし

京橋の東側は「竹河岸」とも呼ばれた地域で、竹材を商う問屋が多くあった。手前の船は竹細工を運んでいる。


日本橋通り一丁目(現・日本橋コレド)

日本橋通り一丁目(現・日本橋コレド)
日本橋通り一丁目(現・日本橋コレド)

江戸時代、ここは商業のメインストリートだった。

日傘をさした若い女性たちは買い物や見物を楽しみながら歩いているようだ。今と変わらない。


芝神明・増上寺

芝神明・増上寺

手前にいるのは田舎から出てきた旅人衆の一団。増上寺の参拝を終え、その荘厳さに圧倒された表情が面白い。

増上寺は、1945年の空襲でほとんどが焼失した。残っていれば世界遺産とも言われる。


金杉橋・芝浦

金杉橋・芝浦
金杉橋・芝浦

江戸時代はここまでが海だった。左手奥には築地本願寺が描かれている。

現代の金杉橋は屋形船が係留され、高速道路さえなければ広重が描いた風景と似ているのかもしれない。


品川・御殿やま

品川・御殿やま
品川・御殿やま

海側から描いた御殿山。広重が絵筆をとっていた場所は今ではJRの線路になっている。


はねたのわたし・弁天の社(現・羽田六丁目)

はねたのわたし・弁天の社(現・羽田六丁目)
はねたのわたし・弁天の社(現・羽田六丁目)

江戸時代、羽田村から川崎大使河原村までの乗合船「羽田の渡し」があった。

対岸までは80メートルほどで、呼べば声が聞こえたという。現在は埋め立てられ羽田空港となっている。


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