奥多摩むかし道と日原街道を走った!


 奥多摩むかしみちは、青梅線奥多摩駅前から奥多摩湖までの旧青梅街道を歩く、約10kmの遊歩道。全行程を自転車で走ってみました(2020/09/21)





ルート

赤色の線が奥多摩むかし道
緑色の線が日原街道


新宿から奥多摩駅まで輪行

7時44分、新宿駅からJR特別快速・ホリデー快速おくたま3号に乗車。電車の輪行は実に半年ぶりです。

4連休ということもあって混雑した車内で揺られること約1時間半、9時17分に青梅線の奥多摩駅に到着しました。


奥多摩むかし道について

(一般社団法人奥多摩観光協会PDFより抜粋)
「奥多摩むかし道」は、旧青梅街道と呼ばれていた道で、氷川から小河内に達するまでの道です。この街道は、小菅から大菩薩峠を越えて甲府に至る甲州裏街道で、甲州街道より8kmほど近道であったそうです。

現在の青梅街道は、柳沢峠を越えて塩山(甲州市)に至る道で明治11年に開通しました。

昔、小河内の生活は、塩山との交易で支えられていました。大菩 薩峠の無人小屋で物々交換をしていましたが、一度も間違いはなかったそうです。

その後、小河内の物産は、氷川への厳しい山道 (14km)を避け、歩きやすい五日市(20km)に運ばれ、生活物資に変えられていました。岫沢(くきざわ) から風張峠に出て、浅間尾根を通り、本宿に下りて五日市に向かう道を通りました。

明治32年に、小河内と氷川間が、わりと平坦な山腹を通る道に改修され、道のりも10kmに短縮、交易ルートが氷川へと変わりました。以降、木炭の生産が飛躍的に増加しました。

この後も氷川への道は、たびたび改修され生活の道となったのは大正から昭和初期に入ってからです。

昭和13年、氷川~西久保間にダム建設資材輸送専用として造られた道路が昭和20年に一般道として開放され、現在の国道411号線になりました。





奥多摩むかし道を走る

奥多摩駅を出発すると、すぐに国道411号線に出るので奥多摩湖方面に進んで、少し先にあるデイリーヤマザキで補給食などを購入します。この日の水分補給は、背中のキャメルバックに入った凍らせたオーエスワン。

デイリーヤマザキのすぐ先に奥多摩むかし道への入り口がありました。

国道411号線を右折

入口近くにあった木製の案内図で見どころをチェック。

ん? 左下に「ダム建設で使用したトロッコの廃線跡」という記載を発見。なんかワクワクしてきましたよ!

奥多摩むかし道の入口近くにある木製案内板

さぁ、いよいよ奥多摩むかし道。10kmの道のりをのんびりとポタリングだ! と思ったら、いきなり激坂のお出迎え。羽黒三田神社の前の羽黒坂です。その昔は木炭運びの人、馬、車が苦労した所だそう。

羽黒坂

トロッコ廃線跡

目の前に苔だらけの橋が現れました。橋の上からは草に埋もれたレールが見える。木製案内板に書いてあったトロッコの廃線跡だ。

橋の下はトンネルになっているようだがよく見えない。崖を降りて確認することもできたが、クリートがついたカーボンソールのシューズなのでやめておいた。

配線となったトロッコのトンネル

狭く走りにくい道なので、しばらく自転車を押して歩く。

Photo:でっちー

槐木(さいかちぎ)

羽黒坂を上りつめると槐木(さいかちぎ)という場所に出ます。地名の由縁となった巨木が堂々と立っている。この木にはトゲがあるので、木の鬼という字があてられているようだ。

槐木(さいかちぎ )

先に進むと所々で廃線跡が確認できた。昭和初期に始まったダム工事では、あそこにトロッコが走っていてダムの土砂を運んでいたのだろう。

奥多摩むかし道は、集落と集落を結ぶ生活の道。当然自動車も走っているが出会うのは稀。

不動の上滝

旧道下に不動尊が祀られてあることから、不動の上滝として行き交う人々に安らぎを与えてきた。落差約7mの滝。

不動の上滝

白髭の大岩と白髭神社

急な階段が現れた。案内板に白髭神社とある。自転車を停めて参拝した。

この上に大岩と神社がある Photo:でっちー

白髭神社は、高さは約30メートル、横幅約40メートルの大岩の横に建てられた社殿。

大岩は東京都の天然記念物になっている。この壁のような岩は断層面の大露顕なんだとか。

弁慶の腕ぬき岩

白鬚神社の少し先に、変わった形の岩があった。

弁慶の腕ぬき岩

弁慶の腕ぬき岩と呼ばれるこの岩は、腕が入るほどの穴のある自然石。弁慶がぬいたものとして親しまれてきたそうだ。

耳神様

今度は岩の割れ目に石が積まれた場所が現れたので再び停車。奥多摩むかし道は見どころが多くて、なかなか前に進まないのだ。

昔は耳だれや耳が痛いときは、医者もいないしどうしようもなかったので穴のあいた小石を見つけて、、耳神様に供えて一心に祈ったそうです。民間信仰のひとつだとか。

しだくら吊橋

今度は吊橋だ。しだくら吊橋とある。「この橋を渡るとき際、五人以上で渡らないでください」という恐ろしい看板を横目に、橋の中央まで行ってみた。目下に広がる惣岳(そうがく)渓谷の眺めはなかなかのものだった。

この渓谷は度重なる多摩川の氾濫により谷から押し出した巨岩怪岩が渓谷を埋めている。別名「惣岳の荒」とも呼ばれているそうだ。

馬の水のみ場

その昔、馬を引いていた人々はここで馬を休ませ水を与えていた。茶屋もあったようで一杯酒もあったとか。大島屋、しみず、ごーろの三軒があったそうだ。

牛頭(ごず)観音

道の脇にまた立て看板があり、牛頭観音と書かれていた。しかしどこを探してもそれらしきものは見当たらない。しかし、ふと足元を見ると小さな石碑があった。

人ひとりが通れるほどの狭い旧道では、多くの馬が谷へ落ちたという。難所であるこの場所に観音様を祀り、牛馬の通行の無事息災を祈ったのだ。

虫歯地蔵

虫歯の痛みも神頼みで治していたようです。なんでも煎った大豆を供えて、お地蔵様に平癒を祈ったという。すごいな、民間信仰。

虫歯地蔵

道所吊橋

また吊橋です。今度は定員3名なので渡るのを躊躇していると、同行したでっちーさんの「いい景色ですよ」という言葉に誘われて橋の中央へ。

道所吊橋

確かにいい眺めである。怖いけど。

道所吊橋から見た多摩川上流

西久保の切り返し

西久保の切り返しという場所から、奥多摩むかし道は自転車が通行できないような登山道になりました。

奥多摩湖までは、まだ3km以上あったので、でっちーさんにはアスファルトの道で先に行ってもらいました。自分は奥多摩むかし道を確認したかったので自転車を担いで歩くことにしました。

結局、2kmちょっと足場の悪い登山道を歩くことになりました。途中、押して歩いたところもありましたがほとんど担ぎだった。この区間は自転車は無理ですね。

青目不動尊まで来たところで、でっちーさんと合流しアスファルト道路に復帰。すると、対向から電動バイクが来て「そっちに行けますかぁ?」と聞かれた。

「やめたほうがいいです。2kmぐらい自転車を担ぎましたから」と答えるとスゴスゴと戻っていきました。

地元の犬の散歩をしていたおじさんも「あっちは自転車じゃ行けないよ、崖から落っこちて死んじまうよ」と言っていた。

死ななくてよかった。。。

さて、奥多摩湖が見えてきました。奥多摩むかし道もいよいよ終盤。

90mほど標高を下げて国道411号線の水根沢に出たところで、奥多摩むかし道入り口の案内板がありましたので、ここで終了です。

水と緑のふれあい館

ランチは奥多摩湖に面した都の施設「水と緑のふれあい館」の食堂で、ポークカレーをいただきました。名物の小河内ダムカレーは現在販売休止ということでしたが、この大盛りカレーも大きなダムのようだった。

ポークカレー大盛り850円

ちなみに奥多摩湖は正式名称を小河内貯水池(おごうちちょすいち)と言うらしい。





日原街道を走る

ランチ後は国道411号線を下って一旦奥多摩湖駅方面に戻り日原街道を走ります。

日原街道は、正式には東京都道204号日原鍾乳洞線と言い、東京都西多摩郡奥多摩町を起点・終点とする行き止まりの道です。標高差が320mあり、ピークには日原鍾乳洞があります。

上り始めるとすぐに大きな鉄橋が現れた。鉄橋は赤茶色にサビていて、トロッコが停まっているではないか。

風景に溶け込んだ鉄橋とトロッコは、まるで映画のセットのようでした。

日原街道は、鍾乳洞へ行く車がひっきりなしに走っていた。他県ナンバーも多かった。コロナ禍にあってもやはり4連休、みな行楽したいのだ。

日原街道折り返し地点

おしゃべりしながら淡々と上っていくと標高差320mはあっという間に消化。ピークの日原鍾乳洞に到着。折り返します。

復路は下りなのであっという間にスタート地点に戻ってきました。途中の錆びた橋に停まっていたトロッコの場所がなぜか変わっていたのに気づく。

後で調べてわかったのだが、このトロッコは「奥多摩工業 曳鉄線」と言い、山の上(奥多摩町日原)にある石灰の採掘現場「氷川鉱業所」と「氷川工場」をトロッコで結び、採掘した石灰の輸送を行っているそうなのだ。つまり現役!

間近で見ることもできるようなので、ぜひ訪れてみたいものです。


半年ぶりの輪行で訪れた奥多摩。東京にありながら豊かな自然に囲まれた場所にある奥多摩むかし道という古道を走ることで、また新しい発見ができました。じてんしゃ旅はやっぱり楽しいですね。

アクティビティ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください