バスやタクシーなどの交通機関を使えば、主だった観光名所を一日で見て回ることもできる京都。でも、あえて目的地までの行程を楽しむためにじてんしゃでポタリングするのも良い。嵯峨嵐山を訪ねてみた。
目次
撮影ポイント付きルートマップ
京都・嵯峨嵐山をポタリングしたルートは下図の緑のライン。地図のポイントは記事中の画像と連動している。
京奈和自転車道
京都には京奈和自転車道というサイクリングルートが通っており、嵐山が起点となっている。今回はこのルートを利用して、桂橋から嵯峨嵐山まで移動した。
京奈和自転車道は、京都と奈良と和歌山を結ぶ全長約180kmのサイクリングルート。京都府、京都市、奈良県及び和歌山県が連携して整備を行っている。いつか全線走ってみたい。
桂橋から桂川上流部へ
まずは、京都駅から真西に走って桂橋から桂川へにアクセス。この桂橋の右岸側には、江戸時代の作られた建物と庭が残る桂離宮があるが、今回はスルーして左岸で上流部へ。
すぐに西大橋を渡って右岸側へ移動。京奈和自転車道はとても良く整備されていて走りやすいサイクリングロードだ。
松尾橋手前まで来た。この先にお酒の神様を祀るという松尾大社があるらしい。酒呑みとしては寄らないわけにはいかない。
お酒の神様を祀る松尾大社
松尾大社は京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する神社。京都では最古級にはいるらしい。ちなみに社名の松尾は「まつのお」と読むようだ。
本殿を参拝し、授与所にうれしいお守りが並んでいた。松尾大社は酒を飲む人、売る人、造る人、酒に関わる全ての人たちの守り神。それぞれに「服酒守」「販酒守」「醸酒守」が授与されているのだ。
私は飲む人なので「服酒守」を授与してもらった。これで日々安心してお酒が呑めるのだ。
境内には「お酒の資料館」が設置され、各地の酒造メーカーが寄贈した酒造用具や酒器が展示されている(入場無料)。
嵐山・嵯峨野エリアへ
松尾大社を後にし、再び京奈和自転車道を走り出す。松尾橋から上流部の河川敷一帯に広がっている嵐山東公園は、自然が豊かで走っていて気持ちが良い。
嵐山東公園に続いて嵐山公園となり、中ノ島橋を渡るといよいよ渡月橋が現れる。中ノ島橋の南詰は京奈和自転車道の起点となっている。
渡月橋
渡月橋は、嵯峨野と嵐山を隔てて流れる桂川に架かる橋。承和年間(834 – 848年)に架橋され、現在の橋は昭和9年(1934年)に完成した。
亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられた。今から700年以上も前の話だ。渡月橋は嵐山を代表する観光名所であり、観光客で賑わっていた。
竹林の小径
渡月橋を左岸側へ渡り竹林の小径へ移動。
竹林の小径は野宮神社から大河内山荘へ抜ける約400メートルの道。遊歩道になっているのでじてんしゃは押して歩いた。
竹林の小径は手入れされた竹林が道の両脇に続く、こちらも京都を代表する観光名所だ。
祇王寺
竹林を抜けたあとは小倉山エリアへ。
京都・嵯峨野の西には小倉山があり、いにしえより山の麓には貴族の別邸などがあったエリア。そのゆかりもあって現在多くの仏閣が残っている。
祇王寺を訪ねてみた。こちらは平家ゆかりの尼寺で苔の寺としても知られている。前夜降った雨で苔が濡れていて美しかった。
このあたりは、嵯峨鳥居本伝統的建物物郡保存地区となっていて趣のある民家や店舗が多い。嵯峨鳥居本から北は愛宕街道となる。
あだし野念仏寺
仏野と記して「あだしの」と読むこの地は、古来より風葬の地として知られている。
境内に奉る多くの石仏はあだし野一帯に葬られた人々のお墓。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。
明治中期にお寺が地元の人々の協力を得て集め、こちらに安祀した。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられている。
鮎茶屋平野屋
あだし野念仏寺を出ると、時刻は午後2時になろうとしていた。お昼ごはんは、鮎茶屋平野屋さんでいただくことに。
鮎茶屋平野屋は、愛宕神社の鳥居横で四百年ものあいだ鮎問屋を営むかたわら、店の前の愛宕街道を通る旅人に団子を供してきた老舗茶屋。愛宕街道はこの鳥居で終わる。
訪れた時間が少し遅かったので、季節の筍ご飯は売り切れだったので鮎茶漬けをいただいた。
お腹がまだ余っていたので名物だという「志んこ団子」を注文しようと思ったが、「おしんこと団子」と勘違いしてやめてしまった。「おしんこ」はお茶漬けのお盆にあったのでわざわざ食べなくてよいか、と。
しかし、「志んこ団子」は、米の粉で手造りしただんご(志んこ)だと後で知った。ニッキ・お茶・白の三色だんごは、愛宕山の九十九折の坂道を現したものだとか。食べておけばよかったと後悔。
釈迦堂清滝道
愛宕街道の終点からは、清滝隧道へは行かずに、釈迦堂清滝道で南へ下る。釈迦堂清滝道は嵯峨清滝町から釈迦堂(清凉寺)までの道のようだ。
清凉寺は光源氏が造営した「嵯峨の御堂」と目される寺院。ここでも「源氏物語」が出てくる。さすが京都。
清凉寺を過ぎた後は、進路を東に変え、大沢池や広沢池があるエリアへ。
このあたりは、国が法律によって歴史的風土特別保存地区と定めている場所。建物の新築や改築、樹木の伐採、土石類の採取、広告の掲出が制限されているため、昔のままの景色が残っている。
きぬかけの路
仁和寺から金閣寺(いずれも世界遺産)までの間は、きぬかけの路を走る。きぬかけの路は、龍安寺を含め、3つの世界遺産を巡るおよそ2.5kmの観光道路。
賀茂川から鴨川へ
きぬかけの路で金閣寺まで走った後は、鞍馬口通りで賀茂川へ向かう。そして、賀茂川の河川敷を走って真南へ走る。
賀茂川は、賀茂大橋から高野川と合流して鴨川と名を変える。
京都の賀茂川や鴨川は遊歩道が設置されていて市民の憩いの場所となっている。遊歩道は自転車が乗り入れても良いようなのでゆっくり走らせてもらった。
川の流れに合わせるようにゆっくりと走っていると、京都駅周辺まで戻ってきた。
宿で汗を洗い流し、喉を潤しに街へ出る。スマートフォンで「居酒屋 京都駅」と検索すると、素敵なお店があったので電話をすると席が空いていた。大正時代の酒蔵を改装したというお店は、お酒もお肴も旨かった。なにより静かなので落ち着いて酒を楽しめた。
翌日は、丹後半島へ(続く)。
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