お水に恵まれたこの国には日本酒やビール、ワインなどをつくる醸造所と焼酎やウイスキーをつくる蒸留所がたくさんある。私はじてんしゃで訪れた先に酒蔵があれば立ち寄るようにしている。(1)は日光のほぼ全量純米酒づくりにこだわった渡邉左平商店を訪れた。翌日は宇都宮から日光東往還で関宿まで走った(2023/03/04)
目次
撮影ポイント付きルートマップ
走行ログは下図の赤いライン、日光東往還は緑のライン。
特急スペーシア号で日光へ
コロナ禍で中断していたあるグループの定例利き酒会が再開され飛び入り参加させてもらった。訪れたのは栃木県日光市今市にある渡邉左平商店。
都内からは北千住駅で東武日光線の特急スペーシア号に乗り換えれば、日光までスムーズに移動できる。
偶然にも東武鉄道では、「#ふらっと呑み鉄 東武沿線酒蔵巡り」が開催されていて、目的地の渡邉左平商店も参加蔵となっていた。
利根川のヨシ焼き
この日、特急スペーシアの車窓には、ただならぬ景色が映し出されていた。利根川下流域に広がるヨシ原湿原で、ヨシ焼きが行われていたのだ。希少野鳥の生息地であるヨシ原の環境改善などが目的なのだとか。
下今市の渡邉左平商店を訪問
午前11時少し前に下今市駅に到着。じてんしゃを組み立て蔵へ向かう。この日は1mmも走らない予定なので輪行バックに入れたままでよいのだが、持って運ぶより転がしたほうが楽なのだ。
駅から歩くこと数分、渡邉左平商店に到着した。
渡邉左平商店は、日光山麓の名水と日光連山から吹き下ろす冬の寒気で酒を醸す蔵。全製造量中の約90%が「純米醸造酒」という純米率栃木県No.1の蔵でもある。
事前の予約をすれば一般の蔵見学を受け付けているが、この日は貸し切りの蔵見学&試飲会。
蔵見学の後は、「日本酒シンポジウム」。
蔵主様からユーモアたっぷりの講義を受けます。なんでも、「シンポジウム」の語源は、古代ギリシャの「饗宴=Sumposion シュンポシオン」だそうで、この日の試飲会も立派なシンポジウムですよ、とのこと。
シンポジウムのあとは、いよいよ試飲会!
純米吟醸酒に始まり、生酛のお燗酒までの至れり尽くせりの試飲会でした。
今市駅から輪行
試飲会のあとは、酒蔵から目と鼻の先にある今市駅まで自転車を押して徒歩で。そして今市駅からは輪行で宇都宮駅へ。結局、この日は1mmも走行しませんでした(笑)
宇都宮駅から関宿まで(日光東往還を走る)
翌日は宇都宮駅を出発して、江戸時代の脇街道である日光東往還を小径車バイクフライデーでポタリング。今回は日光街道追分から関宿までの一部区間を走行した。
日光東往還とは
日光東往還とは、水戸街道追分から日光街道追分(栃木県上三河町)までの79kmの脇街道。wikipediaには以下の記述がある。
日光東往還は、水戸街道小金宿と我孫子宿の間、向小金より北東、かつての小金牧内、現在の柏市豊四季字新木戸(JR常磐線南柏駅付近)で分岐し、関宿、結城といった城下町を経て、日光街道石橋宿と雀宮宿の間、かつての河内郡茂原新田御料、現在の下野市下古山と河内郡上三川町鞘堂の境付近(JR宇都宮線宇都宮貨物ターミナル駅付近)で日光街道に合流する官道であった。その道程は20里34町(約82キロメートル)に及ぶ。参詣目的のほかに周辺大名の参勤交代や物資の輸送、庶民にも利用された。関宿道、結城街道、結城道、多功道という名称もあったほか、江戸幕府による正式名称は関宿通多功道であった。
wikipediaより
国道4号線を避け脇道へ
日光東往還は、江戸時代の重要な道だったはずだが、現在はその面影がほとんど残っていない。東海道や中山道など所々に遺構が残って(あるいは復刻させて)いて、道中が楽しいのだが。。。
さて、宇都宮駅から簗瀬町のあたりまで南下してくると国道4号線と交差する。江戸時代の五街道のひとつで、日本橋から日光までを結ぶ日光街道が現在の国道4号線となっている。この国道4号線(日光街道)を南に下っていくと、日光街道追分から日光東往還となる。
つまり日光東往還は、日光街道の東側にある脇の街道ということだ。
交通量の多い国道を走っても楽しくないので、一旦、並行する畑の中の道を走る。その後は、秋田・山形新幹線の脇道を走り真南に走る。
日光東往還に合流
宇都宮市茂原町まで来ると、新幹線の高架下にいくつもの貨物線の線路が現れた。線路には貨物列車を牽引する気動車の金太郎が停まっていた。この先の三川町には、宇都宮貨物ターミナル駅がある。
少し進んだ先に、道路が何かを潜るためなのかガードになっている場所があった。
ガードの最下部には信号があり、東側から道路がT字路で交わっていた。
そう、ここは日光東往還が線路を潜るために設けられたガードだ。おそらく線路を建設した時に、古道である日光東往還を残すために線路の下にガードを作って道を通したのではないだろうか。
また、下図のように日光東往還には鉄道の引込線が横断している場所もあった。
さらに南下を続けていると、三川町多功という地名が出てきた。江戸幕府が日光東往還の正式な名称としていた使用していた「関宿通多功道」の多功だろう。
県道352号線の石橋街道との交差点を過ぎると、路面に自転車ナビマークが現れた。
1車線しかない狭い道路だが、きれいに整備されているのでとても走りやすい。
栃木県下野市・結城市へ
日光街道を踏襲する国道4号線の追分から始まった日光東往還は、下野市へと入っていく。
そして、下野市を過ぎ結城市に入ると城下町のような町並みが現れた。
結城には日本酒を醸す蔵が2軒ある。
保坂酒造
1つは武勇を醸造する保坂酒造。あいにく、蔵は閉まっていたのでお酒を買うことはできなかった。事前に申し込めば蔵見学も受け付けているようだ。
結城酒造
もう一つの蔵が、「結」を醸造する結城酒造。
結城酒造は、2022年5月、酒の火入れ作業中に出火し全蔵を消失してしまったが、現在は、北海道東川町にある三千桜酒造の蔵で酒造りを続けている。焼け跡に残った煙突は保存が決まっているそうだ。いつかまた、この地でお酒を醸してくれるに違いない。
再び日光東往還を走る。フラットな日光東往還を弱い追い風に乗って淡々と南下する。
途中、大戦防(だいせんぼう)信号手前で和菓子屋に吸収される。
たんさん饅頭という珍しいお饅頭をいただいた。ちょっと硬めでしっかりした饅頭であった。
大戦防(だいせんぼう)信号を過ぎたところにコンビニがあったので、給水も行なう。
南下を続けると結城市から古河市に入った。さらに南下すると猿島郡境町となり、やがて利根川にぶつかった。
千葉県野田市の関宿
利根川を渡ると千葉県最北端の野田市となる。ちょうどチーバくんの鼻の先端だ。そして関宿橋で江戸川を渡ると今度は埼玉県の幸手市だ。
このまま江戸川を下れば、東京に帰れたのだが、だいぶ距離があったので電車で輪行することに。途中、桜で有名な権現堂堤に立ち寄ってみたが開花は少し先のようだった。
最後に旧日光街道と日光御成道の追分まで行ってみることにした。しかし、遺構はおろか、街道をしのぶものは何もなかった。
東武日光線の幸手駅から輪行。距離75km、所要時間4字間9分。
日光東往還を走ってみて
日光東往還の旅は、よく晴れた3月の穏やかな気候の中、追い風基調で快適なサイクリングとなった。日光東往還は、現在の国道4号線と北関東自動車道が交わる栃木県上三河町辺りから、国道6号線のJR南柏駅がある千葉県柏市までの道幅が狭い一般道。
今回走った関宿までの区間は交通量が少なく静かで走りやすい道なので、歩いて踏破する人もいるようだ。
次回機会があれば、関宿から水戸街道追分まで走ってみたいと思う。
コメントを残す