13回となったシリーズ記事・鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅では、長野県の善光寺白馬電鉄を訪ねた(2024/9/15)
目次
善光寺白馬電鉄とは
善光寺白馬電鉄は、その名のとおり長野市と白馬村を結ぶ目的で設立された鉄道。当初は、鬼無里鉄道という名で山岳部の厳しい地形を通過する路線計画だったようだが、路線総延長がわずか7.4kmの開通にとどまった。
1944年に戦争によって休止となり、その後、1969年に正式な廃止となった。鉄道は廃止されたが会社は残り、現在に至るまでトラックによる輸送業を営んでいる。ウィキペディアに次の記載がある。
善光寺白馬電鉄株式会社は、長野県長野市中御所一丁目20番1号に本社を置く総合物流企業である。現在は貨物自動車運送事業者だが、社名が示すように元は鉄道事業者であり、1936年(昭和11年)11月22日から1944年(昭和19年)1月10日まで長野市内で鉄道路線を運営していた。当時の始発駅であった南長野駅跡地に本社がある。
ルートマップ(撮影ポイント付)
善光寺白馬電鉄の廃線跡は、下図の赤いライン。現在、この廃線跡や未成線に沿う経路で川中島バス74系統が途中の鬼無里まで運行されている。さらに長野市営バスがその先西京まで伸びている(下図のピンクのライン)。
廃線跡を辿る
南長野駅
JR長野駅西口から歩いて5分ほどのところに、善光寺白馬電鉄の始発駅だった南長野駅跡がある。南長野駅は国鉄長野駅と接続していなかったので、当時の乗客は少し歩いて乗り換えていたのだろう。
南長野駅跡は、現在の善光寺白馬電鉄株式会社の本社がある(当時からあったのかもしれないが)。
南長野駅のホームは本社建物の裏手にあったようだ(下図明るい赤の部分)。ここから廃線を辿ってみた。
※廃線跡を赤いラインで示した(私の想像なので実際と異なる場合がある)
南長野駅を西に走り出すとすぐに跨線橋があり、上を国道117号線が通っている。善光寺白馬電鉄が通過したのは、下図の明るい赤部分で現在は鉄板で覆われていて通れない。私は右側を通過した。
国道117号線をくぐると線路跡は右に急カーブして進路を真北に変える。
カーブの途中には今も善光寺白馬電鉄の倉庫がある。倉庫を抜けると国道19号線と交差する。
国道19号線の手前には用水路が流れていて、そこに橋が架かっていたようだが現在は無くなっている。
国道19号線の先には住宅や生活道があり、線路跡は分断されていて見つけるのが難しかった。
廃線跡が道路に転用されたような場所もあったが、詳しくはわからない。
赤いラインはあくまで私が想像した廃線跡。
山王駅跡と駅へ上がる階段(遺構)
廃線を辿りながら北に移動していると県道34号線と交わる。ここに善光寺白馬電鉄の最初の駅である山王駅があった。
県道34号線の脇には駅ホームへ上がる階段が今も残っている。跨線橋跡も残っていたが、残念ながら既に取壊されてしまった。
山王駅があった場所は、今は小学校の校庭になっている。
さらに北に進む。道は長野市道長野西613号線、同898号線、同723号線と変わっていった。
妻科白岩通りにある妻科駅跡
廃線跡は裾花川に合わせて左へとカーブを始めた。その頃、進行方向の反対車線側に若干の余地が現れた。ここが、2つ目の駅である妻科駅があった場所。
少し進むと左手に裾花川の支流なのか小さな川が流れていて通りの名が「妻科白岩通り」になっていた。川沿いは枝垂れ桜の名所で、白岩とは石灰岩の白い断崖のことのようだ。
信濃善光寺駅跡
長野市新諏訪1丁目あたりに信濃善光寺駅跡はあった。善光寺からは1.5kmほども離れているが駅名は信濃善光寺駅だったようだ。駅があった場所は住宅が建築中だった。
信濃善光寺駅跡を過ぎると、廃線跡は裾花川を二度横切る。一度目には裾花第一号橋梁、二度目には裾花第二号橋梁が架かっていた。第一号橋梁は跡形もないが、現在は旭山橋が架かっている。
裾花第二号橋梁
裾花第二号橋梁は、現在、橋台と橋脚が遺構として残ってる。橋台・橋脚は2つの角度から見ることができた。まずは線路に沿ったアングル(下図15)。
次は西側の川上からのアングル(下図14)。この場所はカタクリの群生地になっているようだ。
国道406号線の茂菅大橋からは、裾花第二号橋梁を過ぎて茂菅駅へ向かう廃線跡を見ることができた。
茂菅大橋の下まで降りてみる。廃線跡は未舗装路の道として残っていた(下図17)。少し盛り上がっているので築堤の跡なのだろうか。
茂菅駅跡
未舗装路を更に進むとアスファルト道路と交差した。交差した場所にかつての茂菅駅があった。下図の明るい赤部分にホームがあったようだ。ホームは現存するようだが畑の中に埋まっている。
茂菅駅跡の先はこんもりと里山があり、廃線跡は確認できなかった。里山の上には飯綱神社があり線路はトンネル(茂菅第一号トンネル)によって山を通過していた。
山を通過した廃線跡は、その後、住宅地に消えた。住宅地の急峻な道を上ってみたが線路跡は見つからず途方に暮れた。
仕方がないので頼朝山トンネル東信号まで戻って、頼朝山トンネルを潜り松島橋の上から廃線跡を探してみた。すると据花川の左岸に未舗装路が見つかった(下図27)。しかし、どう行ったらよいものか分からず、一旦、据花川の右岸へ降りてみた。
そして、据花橋を渡って葛山弁財天の先から据花川の左岸へアプローチしたら、未舗装路に出られた。
喜び勇んで未舗装路の廃線跡を進んでいくと、道は続いていたが工場の敷地になった。信州煙火工業という看板が出ていたので花火の工場のようだ。入口付近で作業をする人に尋ねてみた。
この先は私有地でしょうか?
いや、違うと思うよ
では自転車で入っても大丈夫ですか?
大丈夫だけど、行き止まりだよ
工場の人は行き止まりと言っていたが、行けるところまで進んでみようと思った。
未舗装路は据花川の左岸に沿って真っ直ぐ伸びていた。これは間違いなく廃線跡だろう。
茂菅第二号トンネル跡
さらに進むとトンネルが現れた。茂菅第二号トンネルの長野側の坑口だ。残念なことに入口は柵で塞がれ立ち入禁止となっていた。
未舗装路は左に続いており、もしかしたらトンネルの向こう側に行けるかもしれないと進んでみたが道は途中で終わっていた。
茂菅第二号トンネルの先には第三号トンネルもあるようだが、近づくことは困難だった。
仕方がないので来た道を戻って、川の右岸にある国道406号線で先回りしようと考えた。
据花橋を渡り国道406号線に出る。松島トンネルを潜り、その先に対岸へ渡れそうな橋が現れたので左岸へ。すると廃線跡に戻ることができた。
さらに廃線跡を辿っていくとダムが現れた。湯の瀬ダムだ。
湯の瀬ダムの先は裾花口駅があった場所だが、関係者以外立入禁止となっていた。
裾花口駅跡
立入禁止の柵にじてんしゃを立てかけ、少し先まで歩いてみた。
裾花口駅があったと思われる場所にはわずかな空地があり、工事車両が通行した轍が薄っすらと残っているだけだった。ホーム跡が地中深くに残っているようだが、出てくることはないのだろう。
善光寺白馬電鉄の廃線跡を走ってみて
鉄道遺構を巡るじてんしゃの旅(13)では善光寺白馬電鉄の廃線跡を辿ってみた。距離はわずか7.4kmと短く、南長野駅跡から裾花口駅跡までの廃線跡には橋脚などの遺構も残されていた。
ルートマップには、善光寺白馬電鉄の未成線が後にバス路線になったルートも記載しているので、南長野駅から鬼無里まで走ってみるのも楽しいかもしれない。
「失われた鉄道100選II」南正時著
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