2015年11月のはじめ、東京都町田市にある小野路地域をシクロクロス車Independent Fabrication Planet X(cross)で走ってきた。
小野路地域には、昨年の同時期にも訪れ、機会があったら詳しく探訪してみようと思っていたのだが、あっという間に一年が経ってしまった。(この記事は2014年11月24日と2015年11月3日に訪れた時の写真が混ざっています。)
今回再訪する際に事前に「小野路 サイクリング」と検索したら、ひとりぶろぐのmoyashiさんの記事が出てきたので、ルートを参考にさせていただいた。
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多摩川から小野路町へ
小野路地域の場所だが、自転車乗りには、尾根幹線道路(通称=尾根幹)の国士舘大学の近くにある、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。私は、自宅から多摩川CRで是政橋まで行き、橋を渡ったら南下し、川崎街道の連光寺坂上から尾根幹線道路にアクセスした。
尾根幹の「多摩卸売市場前の信号」を曲がって脇の道に入ると、早速、古道が登場する。布田道だ。そして、ここから南側一体が小野路町となる。布田道は、幕末に近藤勇や土方歳三が剣術指南に通った道なのだとか。
布田道から別所に抜け鎌倉街道へは行かないで、脇道を行くと小野神社に出る。このあたり、江戸時代には大山街道の宿場町として栄え、小野路宿通りは当時の雰囲気を現在に残している。
奈良ばい谷戸へ
moyashiさんのブログ記事で一番印象的だった「奈良ばい谷戸」に行きたくて、小山田緑地の方まで移動して、それらしい場所を探す。それは「小山田緑地 入り口」のすぐ近くにあった。
「奈良ばい」は地名のようだが、「谷戸」とは何か?googleで検索するとウィキペディアに以下のように記載されていた。
谷戸(やと)とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある。谷(や、やと)、谷津(やつ)、谷地(やち)、谷那(やな)などとも呼ばれ、主に日本の関東地方および東北地方の丘陵地で多く見られる。
なるほど、谷戸とは丘陵地の谷状の地形のことなのか。そういえば以前、房総の谷津道は走ったことがある。
奈良ばい谷戸は、とてものどかな里山の道だった。自転車で走るのは気が引けたので押して歩いた。途中でマウンテンバイクとすれ違ったが、しばらく歩いたところに「車両走行禁止」の看板が出ていたから、自転車は走れないようだ。
関屋の切り通し
ここは2014年11月に訪れた。布田道の中で一番フォトジェニックな場所だ。尾根をえぐった崖が頭上にせまり竹林が視界を遮り迫力がある。鎌倉古道はこのあたりで布田道と交差し、関所を兼ねた関屋砦があったと推測されている。
このあたりには、小野路城址もあるようだが今回は訪ねなかった。
小野路地域は、東京都は思えないのどかな里山の景色が残る場所だ。絹の道、鮎の道などもあるようなので、また訪れてみたい。
戦車道へ
かねてから訪れてみたかった場所である戦車道に足を伸ばしてみた。
戦車道とは、第二次世界大戦の末期に、陸軍の工場で作られた戦車の走行テスト用の道として作られたもので、現在は尾根緑道(おねりょくどう)という名で東京都町田市民に利用されている、全長8kmの緑道だ。
この緑道は、適度なアップダウンがあり、自転車乗りたちがトレーニングにも利用しているようで、実際、何人かのロードレーサーとスライドした。
尾根道を利用したこの緑道からは、丹沢山がよく見えた。
2015年11月15日追記(布田道を自転車で走れるか確認した)
3度めの訪問は、黒川駅から小野神社前まで歩いた。散策ルートを自転車で走れるか、確認してみたのだ。ルートは上記googlemapの緑のライン。結論から言うと、環境保全地域は自転車では走れない。
黒川駅から少し行った先に、霊園と変電所がある。この裏手に布田道があるのだが、狭いダート道で、ハイカーも多いので自転車では走りにくい。
黒変電所を抜けると、一般道に出る。
資料によると、布田は現在の調布市付近の古い名称で、江戸時代は甲州と江戸の物流の中継ぎで栄えていたとか。幕末には、近藤勇や土方歳三、沖田総司らが、剣術の稽古のためにこの道を歩いた、とされている(東京都公園協会の広報誌「緑と水のひろば73号」より)。凄いですね。
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