2-21:下祖母石の蔵と土塀の町並み

甲州道中(旧甲州街道)を走る〜台ヶ原宿から韮崎宿

じてんしゃで甲州道中旧甲州街道)の台ヶ原宿から韮崎宿まで走行した記録(2025/10/12)

甲州道中(旧甲州街道)を分割して走る

甲州道中(こうしゅうどうちゅう)は、江戸時代の五街道のひとつで、日本橋を起点として山梨県甲府を経て長野県下諏訪に至る約220kmの主要幹線道路。現代の甲州街道(国道20号線)の旧道のこと。その甲州道中を下諏訪から日本橋方面に分割して走った(というか、まだ走っている途中)。

この記事は、台ヶ原宿間〜韮崎宿の走行記録。下諏訪〜台ヶ原宿間の走行記録は下記。

ルートマップ(撮影ポイント付)

下図の青いラインが甲州道中。実際に走ったコースは赤い細いライン。

ベースキャンプは三景園

今回も南アルプスの麓にあるキャンプ場にテントを張って2泊した。三景園は「鳳凰三山」「甲斐駒ヶ岳」「八ヶ岳」の3つの山の景色を楽しめるキャンプ場。前回利用してその素晴らしさに感動したのでリピート利用。12日の朝は快晴、甲斐駒ヶ岳がよく見えた。

1-01:南アルプス三景園オートキャンプ場
1-01:南アルプス三景園オートキャンプ場

南アルプス三景園オートキャンプ場

台ヶ原宿〜韮崎宿

11:40 台ヶ原宿を出発。旧甲州街道を進む。

2-01:甲州街道台ヶ原宿
2-01:甲州街道台ヶ原宿

尾白川の河川敷に出たところに「甲州街道 台ヶ原宿 古道」の石碑があった。進んでみたが、草が深くて小径車のタイヤだと走行できないので、対岸に渡って回り道をした。

国道20号線側にも石碑があったが「甲州街道 古道入口 はらぢ道」と記されていた。

2-02:甲州街道古道
2-02:甲州街道古道
2-03:はらぢ道 古道入口
2-03:はらぢ道 古道入口

国道20号線と旧甲州街道を行ったり来たり

旧甲州街道は尾白川を渡るため、一旦、国道20号線へ。そして、渡った後に旧甲州街道へ戻る。

2-04:甲州道中(旧甲州街道)
2-04:甲州道中(旧甲州街道)

旧甲州街道は昔の街道の面影を残す道。蔵や土塀の壁がある民家が続く。

2-05:甲州道中(旧甲州街道)
2-05:甲州道中(旧甲州街道)

道は真っ直ぐになっておらず、古い民家の間を縫うように進む。

2-06:旧甲州街道沿いの民家
2-06:旧甲州街道沿いの民家

大武川を渡るために、一旦、国道20号線へ。

2-07:大武川橋と富士山
2-07:大武川橋と富士山

大武川橋を渡った後は、再び旧甲州街道へ。甲州道中の旅はこの繰り返しである。

2-08:甲州街道から旧甲州街道へ
2-08:甲州街道から旧甲州街道へ

武川町牧原のあたりもまた、街道の面影が残っている道。

2-09:武川町牧原
2-09:武川町牧原

黒沢川の手前で国道20号線へ。

2-10:旧甲州街道から甲州街道へ
2-10:旧甲州街道から甲州街道へ

そして、三度、旧甲州街道へ。正面に富士山が見えてきた。

2-11:旧甲州街道から見える富士山
2-11:旧甲州街道から見える富士山

小武川を渡る手前で、またまた国道20号線へ。行ったり来たりが続く。

2-12:古い民家となまこ壁
2-12:古い民家となまこ壁

水路に沿って

小武川橋を渡ると韮崎市に入った。すると、旧甲州街道の横に水路が現れた。

2-13:徳島堰
2-13:徳島堰

水路は徳島堰。

徳島堰(とくしませぎ)は、山梨県韮崎市と南アルプス市を結ぶ農業用水路。
延長は17km。国の登録記念物に登録されている。wikipedia

2-14:七里岩と水田と徳島堰
2-14:七里岩と水田と徳島堰

この徳島堰は水の流れが速い。水流は進行方向と同じなので、追い風も相余ってかスイスイと走っているように感じられた。

所々に結構大きな水車があって、水の力を何に変えているのだろうと思ったが「電気」だった。

徳島堰には、灌漑用水路として現在も利用されているものと、水力発電に利用されているものがある。山梨県南アルプス市にある「徳島堰」は、江戸時代に開削された灌漑用水路で、現在も小水力発電に水車が利用されている 南アルプス市

2-15:徳島堰にある水力発電用の水車
2-15:徳島堰にある水力発電用の水車

お地蔵さんと灯籠と道祖神

円野町入戸野の「入戸野バス停」横に地蔵尊と祠があった。

2-16:地蔵尊と祠
2-16:地蔵尊と祠

その先に、老舗の酒屋もあった。

2-17:甲州道中にある酒屋
2-17:甲州道中にある酒屋

清哲町折居には灯籠と双体道祖神があった。甲州道中の名残りなのだろうか。灯籠の中には石仏がいた。

2-18:灯籠
2-18:灯籠
灯籠の中には石仏が
灯籠の中には石仏が

双体道祖神は、男女一対の神像が寄り添うように彫られた石像で、村の入口や辻に祀られ、悪疫退散、子孫繁栄、安産、縁結び、旅の安全などを守る神様として、長野県や群馬県など関東甲信地方に多く見られるようだ。

2-19:双体道祖神
2-19:双体道祖神

釜無川を渡るところで甲州道中(旧甲州街道)は、一旦途切れる。昔の渡しがあった場所には橋がかかっていないため、柳沢橋で迂回する。

2-26:石碑群
2-26:石碑群

釜無川の左岸側には石塔群があった。洪水が多いこの地方には、水を司る九頭竜大神が多く祀られているのだとか。

韮崎宿へ

釜無川を越えると甲州道中は真っ直ぐになり、正面に富士山が見えてきた。韮崎宿まで後少し。

2-20:甲州道中と富士山
2-20:甲州道中と富士山

下祖母石には蔵がある土塀の町並みが続いていた。

2-21:下祖母石の蔵と土塀の町並み
2-21:下祖母石の蔵と土塀の町並み

町並みが途切れたところからは七里岩の断崖が見えた。

2-22:七里岩の断崖
2-22:七里岩の断崖

甲州道中(旧甲州街道)は一ツ谷から国道20号線と合流。さらにその先で国道17号線となる。

13:20 韮崎宿着。

かつて宿場があった場所では、この日、「韮崎市政際」が行われていた。

2-23:甲州道中 韮崎宿
2-23:甲州道中 韮崎宿

甲州道中だった当時の面影を探したかったが、あまりにも人が多く、本陣跡の石碑を見つけるのがやっとだった。

ここで今回のサイクリングはお終い。甲州道中台ヶ原宿から韮崎宿のコースプロファイルは次のとおり。

距離:19.6 km
獲得標高(上り):39 m
下降標高:254 m
2-24:韮崎宿本陣跡
2-24:韮崎宿本陣跡

遅いランチは山梨県の郷土料理である吉田のうどん。煮干が効いた出汁にうどんを付けて食した。食べ終わって外に出てみると隣で食べていたロードバイク乗りの人が話しかけてきた。

なんでも、昔、幡ヶ谷のバイクフライデーによく行っていたとか。

今は山梨にも住居があり、東京と行き来しているそうだ。羨ましい。

2-25:吉田のうどん さくら
2-25:吉田のうどん さくら
2-25:吉田のうどん さくら
2-25:吉田のうどん さくら

来た道を戻り、「むかわの湯」で汗を流してキャンプ場に戻った。この日は夜までずっと晴天だった。

1-01:南アルプス三景園オートキャンプ場
1-01:南アルプス三景園オートキャンプ場

甲州道中を台ヶ原宿から韮崎宿まで走ってみて

甲州道中は江戸時代の五街道のひとつで、日本橋を起点として山梨県甲府を経て長野県下諏訪に至る約220kmの主要幹線道路。現在も「旧甲州街道」の名で残っている。

台ヶ原宿から韮崎宿までの19kmほどの区間には、蔵や土塀の町並み、石碑・石仏など昔の街道の面影を感じることができる要素が多く旧街道ポタリングを楽しめる。

次回は韮崎宿から甲府柳宿まで走った記録を紹介する。

距離:47km
獲得標高(上り):509m
下降標高-330m
最高勾配:6.4%
最小勾配:-9.1%
移動時間:3:05 hrs


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