じてんしゃで沖縄の美しい道を走るシリーズ記事、沖縄ちゅら道ポタリング。(6)は本島北部にあるやんばるの森を走った(2022/10/11)
目次
オクマプライベートビーチ&リゾート滞在
6月に続き2度目の訪問となった沖縄本島。6月の「うるま5島めぐり」では熱中症になりかけて大変な思いをしたが、さすがに10月の沖縄は涼しいはず。
今回はやんばる方面を走りたかったので、北部へのアクセスが良いオクマプライベートビーチ&リゾートを拠点とした。
ここは5年くらい前までJALが運営するリゾート地だったが、JAL破綻後はホテル名にJALが無くなり新しい施設とサービスでリニューアルオープンしている。
今回はじめて宿泊してみたが、ガーデンヴィラという戸建てタイプの部屋は周りが庭になっていて静かで良かった。じてんしゃを部屋に持ち込むことができたので安心できた。
ルートマップ(撮影ポイント付)
下図の赤いラインが今回走ったルート。
ゴッパチ(国道58号線)でやんばるを目指す
何日か前からフィリピン海に停滞している低気圧のせいで、この日の沖縄本島は北東7メートルの風が吹いていた。
午前8時にオクマを出発。北東を目指すが北東7メートルの向かい風とはケンカせずにゆっくり進む。
国道58号線を走り出すと現れた辺土名トンネルは回避して国頭村役場の方面へ迂回する。
伊地の辺りまで来ると、風を直に受けるようになり前に進まなくなった。波が高く、しぶきも飛んでくるサイクリングにはうれしくない状況だ。
幸い空模様が好転し青空が見えてきたのと、辺戸岬がある本島の北端が遠くに見えてきたのでテンションが少し上がる。
伊地を過ぎると、新与那トンネルが現れた。これも迂回しようとしたが、迂回路は行き止まりになっていた。トンネルの歩道を走らせてもらい無事通過。
新与那トンネルを過ぎると、県道2号線への上り道が始まる。ツール・ド・おきなわの市民レースでは、この上りを克服することになるのだが、私はフラットな海岸線を直進する。
与那海岸あたりからガードレールが金属ではなく石積みになった。城(グスク)の城郭みたいでカッコいい。
謝敷まで来ると本島の北端がだいぶ近くなってきた。
文字のない青い標識が立っていた。よく見ると剥がれかかったシートで「通行規制区」と表示されている。
どうやらこのあたりから国頭村宜名真までの間は異常気象時通行規制区間となっているようだ。
異常気象時通行規制区間とは
大雨・台風などの異常気象時、土砂崩れ・落石などの災害から通行する車を守るため、道路管理者があらかじめ定めた降水量に達した時に通行を規制するようだ。規制基準は越波ではなく普通に雨量(250mm超で通行止)とのこと。
Googleマップのrelic(遺物)アイコンが付いた佐手の浜で一旦停車。岩だらけの浜が多い中、ここは自然の砂浜だった。
向かい風のなか淡々と前進すると、徐々に本島北端部に近づいてきた。
宇嘉で宇嘉トンネル、ウテンダトンネルと2つのトンネルを通過。ここまで来ると交通量が減ってほとんどクルマは通行していないので歩道ではなく車線を通行。
宇嘉トンネルの脇には、以前使用されていたものであろう古いトンネル(座津武トンネル跡)が残されていたが、通行止めとなっていた。
宜名真〜茅打バンタは通行止め
ついに宜名真までやってきた。沖縄本島北端まであと少しだ。
国道58号線を逸れて、この先の宜名真トンネルの上を茅打ちバンタまで上っていく道が通行止めとなっていた。辺戸岬へ行った後、復路はこの道路を下ってこようと思っていたので計画変更だ。
やんばるへの路を開いた宜名真トンネル
宜名真から辺戸上原に向かう道は、昔から難所だった。それは海岸沿いの道ではなく80メートルほどの崖を上っていく「戻る道※」だ。
人がすれ違えないほど狭く危険な「戻る道」は、その後クルマが通れるほど拡幅され本島北部の幹線道路として使われていた。しかし、1983年に宜名真トンネルが開通してからは、幹線道路としての座は国道58号線に移った。
その宜名真トンネルに入ってゆく。全長約1000mの長いトンネルなので、歩道に上がりたかったが、後ろからクルマがほとんど走ってこなかったので車道で進入。
しかし、途中から歩道に上がる。やっぱりトンネルは怖い(笑)
やんばる路
宜名真トンネルを辺戸岬側へ抜けるとやんばる路の看板が現れた。
少し先に右手に分かれる道が現われ、「北国小学校→」と表示されていた。
こんなところに小学校が?と思ったが、調べてみると創立132年と歴史のがある学校のようだ。現在は休校となっていて2023年の3月末に廃校が決まっているようだ。記事後半では正門に立ち寄っている。
少し先には橋がかかっていた。
さらに上り道が続く。右手には大石林山が見えてきた。やんばるらしい緑色の山だ。
辺戸岬
午前10時、ついに沖縄本島の最北端・辺戸岬に到着した。
2007年と2008年にツール・ド・おきなわ本島一周サイクリングへ出場した時は、このやんばる路を走ったはずだけど、辺戸岬には寄らなかった。なので今回が初めての訪問。
辺戸岬はサンゴ質の絶壁から成り、岬の上は広い台地になっている。
絶壁の上から見える青い海と緑色に広がるやんばるの森は絶景だ。
遠くに見える切り立った岩山は、大石林山。翌日にハイキングをしたので別途記載する予定。
辺戸岬は広大なやんばる国立公園の一部分となっている。
やんばる国立公園は、国内最大級の亜熱帯照葉樹林が広がり、ヤンバルクイナなど多種多様な動物や植物が生息・生育し、石灰岩の海食崖やカルスト地形、マングローブ林など多様な自然環境を有している。
ちなみに「やんばる(山原)」とは、「山々が連なり森の広がる地域」を意味する言葉で、亜熱帯照葉樹林の森が広がっている沖縄島北部を指している。
辺戸岬の先をちょっと右へ
辺戸岬の駐車場脇に立てられていた観光案内板を見ていたら、おもしろい文言を発見。「サキッチョ右へ!」だ。
沖縄本島北部を西海岸から東海岸へ移動しようとした場合(逆も同じ)、島を横断する道路が無いので、どうしてもゴッパチ(国道58号線)からサキッチョ(辺戸岬)を経由してナナマル(県道70号線)へ走るしかない。なるほど。
宇佐浜〜ヤンバルクイナ展望台
次に向かったのは、辺戸岬から見えた巨大なヤンバルクイナ像がある展望台。
途中にある宇佐浜にも立ち寄ってみた。国の史跡でもある宇佐浜遺跡の案内板もあったが、どこなのかわからなかった。
宇佐浜にあるお墓の手前を右に激坂を上がるとヤンバルクイナ展望台に着く。
子供が怖がるのでは?と思ってしまうぐらいヤンバルクイナ像はリアルに作り込まれている。
ヤンバツクイナの胸と背中には大きな展望口が設けられていて景色を楽しめる。胸(北東側)には宇佐浜越しの辺戸岬が、
背中(南西側)には、やんばるの森越しの大石林山が見える。いずれも絶景だ。
辺戸集落
続いて辺戸集落へ。
辺戸集落には琉球神話の始まりの地とされ聖地となっている場所がある。中でも安須森御嶽(辺戸御嶽)は最高の聖地とされるが、一般人が気安く立ち入る場所ではないらしい。
集落には共同売店があった。
沖縄の共同売店は、集落単位で各家庭が共同で出資して運営を行う生活協同組合のような組織体。北部ではよく見かける。
辺戸集落を通過し、国道58号線を越え大石林山方面へ向かう。大石林山は、企業が運営する観光施設となっているため、入場料を支払わないと見学できない。翌日に見学してみたので別途記載する予定。
北国小学校
大石林山を回り込んで西海岸川へ移動すると、北国小学校の校門前に出る。現在この小学校は、2019年から休校となっていて生徒たちは17km離れた辺士名小学校に通っているそうだ。
高台にあって海が望める北国小学校は、2023年の3月末に廃校が決まっている。
茅打ちバンタと戻る道
北国小学校の前の道をまっすぐm北に進むと「戻る道」がある。
工事中のため関係者以外立ち入りができないようだが、通行止めされている場所から少し先に切り通しが見えたのでじてんしゃを押して行ってみた。
50メートルほど歩くと、道の両側に切り立った岩があった。その先へも道は続いていたが、谷側が崖になっていたので引き返した。
戻る道とは
宜名真集落の後方から約80mの断崖絶壁を登ると、辺戸上原とよばれた耕地に適した土地があった。
宜名真の人々は辺戸上原へいくために岩の裂け目を利用した長さ約100mの狭い道を通っていたが、その道は人が1人通るだけの道幅しかなく、道の途中で人が出会うとどちらかが道を戻らなければならなかった事から「戻る道」と呼ばれていた。
通行困難であるために土地をうまく利用できず、宜名真住民は貧困に苦しみ、年々不就学児童がふえていく状況であった。
1912年、辺戸尋常小学校校長に就任した當山正堅先生はそのことを知り、岩を開削し道幅を広げる工事を行う事を呼び掛け、地元住民が総出で行うことになった。工事は1913年5月に開始され同年11月に完了した。この工事によって道幅は広がり、牛馬も通れるようになった事から辺戸上原地区の開拓が急速に進められたという。
「戻る道」の近くの駐車場脇から茅打ちバンタと呼ばれる場所にも行ってみた。
戻る道の崖部分がよく見える。あそこに人がすれ違えないほどの細い通路があったのだ。昔の人の苦労がよく分かる。
あまり天気が良くなかったので翌日も訪れてみた。晴れていると絶景!
爆風のゴッパチでオクマへ戻る
本島北部の探索を終え、ゴッパチ(国道58号線)でオクマに戻る。
復路のゴッパチは爆風の追い風だったので、往路に見た景色を早送りの映像を見ているように移動した。
与那の道の移り変わり
新与那トンネル手前に気になる看板が立てられていたので停車した。
こちらは国頭村与那の道の移り変わりを示す説明板。この場所は昔から交通の難所だったようで、5回も道が移り変わっていると書かれていた。赤い線で描かれた「高坂」は、じてんしゃでは遠慮したい道だ。
現在は1995年に開通した新与那トンネルで労なく通行できる。
追い風に乗って爆速で移動したらあっという間にオクマに戻ってきてしまった。
やんばる路を走ってみて
沖縄ちゅら道ポタリング(6)では、オクマから辺戸岬まで国道58号線を走ってみた。
「山々が連なり森の広がる地域」を意味する言葉のとおり、やんばる路は自然がとても豊かな道だった。今回は西海岸だけを走ったが、東海岸を走ればさらに豊かなやんばるの自然を実感できるはずなので機会があったらトライしてみたいと思う。
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