じてんしゃで沖縄の美しい道を走るシリーズ記事、沖縄ちゅら道ポタリング。(7)は本部半島の古宇利島と屋我地島を走った。名護にある津嘉山酒造所にも立ち寄った(2022/10/13)
目次
撮影ポイント付きルートマップ
走ったルートは下図の黒いライン
古宇利島一周
前日までポタリングやハイキングを楽しんだ本島北部のやんばるを離れ、次の宿泊地のブセナへ移動する途中に本部半島へ立ち寄った。目的は古宇利島と屋我地島をポタリングすること。まずは古宇利島を一周してみた。
古宇利ふれあい広場の駐車場にレンタカーをデポしてじてんしゃを降ろす。
今回レンタカーしたのはダイハツロッキー。コンパクトSUVというだけあって荷台が広く、BikeFridayであれば前輪を外せば余裕で積載できる。衣類などの荷物はじてんしゃの下にあるアンダーラゲージに入ってる。
県道247号 古宇利屋我地線
古宇利島漁港から県道272号線で時計周りに走り出すと、すぐに県道247号線の起点が現れた。ここから先の古宇利島を一周する道路が県道247号線なのかと思ったら違った。
ここから反対側に古宇利大橋を渡って屋我地島の済井出(すむいで)までを結ぶわずか3.4kmの道路が県道247号 古宇利屋我地線だ。
始まりの洞窟
県道247号線の起点を通過すると、スマホのGoogleマップにrelic(遺物)アイコンが付いた「始まりの洞窟」が現れた。
海に突き出た岬の下が洞窟のようだが、道路からは見えないのでじてんしゃを降りて見に行ってみた。
始まりの洞窟は、琉球神話における人類発祥の原初の2人が過ごしたといわれる場所。地元の人たちには今も大事にされている聖地のようだ。周辺はチグヌ浜というらしい。
洞窟の上まで行ってみたが、洞窟はよく見えなかった。洞窟の上には「天降世立口世ヌ火神」と記された碑が建っていた。
古宇利島を周回する道路
古宇利島には島を周回できる道路がある。周回道路は海岸から少し離れた高台にあり海の景色が望める。
のどかないかにも離島の道路という感じでのんびり走るにはいい道だ。全長8kmちょっとなのであっという間に回れてしまう。
少し進むと、再びスマホのGoogleマップにrelic(遺物)アイコン「古宇利グスク」が現れた。しかしホテルの敷地の中にあって見学はできなかった。
さらにrelic(遺物)アイコンの「スルル洞(ガマ)」が現われ小さな碑を見つけたが、藪に入っていく勇気はなかった。
恋島にあるハートの形をした岩
丸い形をした島の真北には、ハートロックという観光名所がある。
古宇利島は琉球神話における人類発祥の原初の2人が過ごしたといわれる「始まりの洞窟」があり、昔から恋島(くいじま)とも呼ばれていた。その恋島に、自然が作ったハートの造形物があるというので見に行ってみた。
周回道路から見えたティーヌ浜と大きく書かれた看板を海側に降りていくと駐車場がある。その先の舗装されていない細い砂道を歩いていくとハートロックは現れる。
ハートに見える岩が海の中に2つあったが、どちらもハートには見えなかった。しかし調べてみると、浜に降りて2つの岩を重ねるようにするとハートに見えるのだとか。確かに手前の岩の下の部分はくびれたハート型だ。納得。
少し先にも浜があるようなので寄ってみた。こぢんまりとして静かな浜だった。
古宇利島のサトウキビ畑
周回道路に戻って再び時計まわりに進むと島の東側にはサトウキビ畑が広がっていて、強い風に葉がバサバサと音を立てていた。
島の南東には古宇利オーシャンタワーという商業施設があった。タワーに上れば海抜80メートルからの景色が眺められるようだったが、入園料の1000円が惜しくてスルー。
古宇利大橋と屋我地島を一望できるポイントがあったので停車。
古宇利大橋は2005年に開通した橋で、全長が1,960mもあり沖縄では通行無料の橋としては2番目に長い。
最南端の古宇利ビーチに到着。全長8kmの古宇利一周の旅を終えた。
続いて、記事冒頭で紹介した県道247号線を走って屋我地島へ向かう。
古宇利大橋の屋我地島側には、カエル島という小さな島がある。一度上陸してみたいものだ。
屋我地島をほぼ一周
古宇利大橋を渡ると屋我地島側は勾配がきつい上り坂になっている。坂を上がっていくと古宇利大橋と海を見下ろせる景色が広がる。どこが一番キレイに見えるかな、などと振り返りながら進むとやがて県道247号線の終点となるT字路に着いてしまう。
T字路から先は県道110号線となる。このT字路を起点として、屋我地島を時計回りにまわっていく。島をぐるっと一周したかったが、この後、ブセナに移動しなければならないので本部半島に架かるワルミ橋手前までのライドとなった。
とりあえず県道110号線を東南方面に進んで島の最南端にある屋我地ビーチを目指す。
途中、東海岸にあるベンジャミンバーガーには寄ってみたかったが生憎この日は休店日だった。
屋我グシク遺跡群
県道110号線を東南方面に進んでいると、スマホのGoogleマップにレリックマークが現われたので立ち寄ってみた。
標高36mの丘陵地にあるその場所は、約600年続いた集落跡と考えられている屋我グシク遺跡群だ。丘陵の頂上から斜面とその周辺にかけて鍛冶場跡や祭祀場跡、竪穴住居跡の遺跡があるのだが、外からは何も見えない。
ゲートがある屋我地ビーチ
県道110号線に戻ると目指していた屋我地ビーチはすぐにあった。しかし、ビーチにはゲートが設けられていて勝手に立ち入れないようになっていた。ゲートには入場料の案内があったのでお金を払わないと景色すら見ることもできないということだ。
私有地であれば施設利用料を取ることはいいのだけれど、景色ぐらい誰でも見れるようにしたらどうかと思う。
沖縄にはこのようなビーチが他にもある。恩納村のムーンビーチや伊計島の大泊ビーチなども同じだ。
道を挟んで屋我地ビーチの反対側にもビーチはある。きれいな景色をカメラに収めて、再び走り出す。
羽地内海側を西に進む
ウラ屋我地ビーチを写真に収めた後は、沖縄の瀬戸内海と言われる羽地内海側の県道110号線で西に進む。
県道110号線の羽地内海側にはさとうきび畑が広がっており、延々の同じ風景が続く。
我部のあたりから北に進路を変え、ワルミ大橋手前でライドを終えた。
戦前の姿を残す津嘉山酒造所
レンタカーで宿泊先のブセナへ移動する前に、津嘉山酒造所へ立ち寄った。
津嘉山酒造所は、昭和2年から4年(1927~1929)にかけて建設された名護市に所在する現役の泡盛醸造所。「国華」を製造する蔵元だ。
こちらは現存する沖縄県最大級の赤瓦葺き屋根を有する木造建築として、国の重要文化財に指定されている。
津嘉山酒造所 沖縄県名護市大中1丁目14-6 10時〜12時 13時〜16時30分
13時前に蔵へ着き営業再開を待っていると、13時になって門を開けた男性が「試飲する?」と声をかけてくれた。
自転車は折りたたんでレンタカーの中だし、クルマを運転するのは自分ではないのでお言葉に甘えて試飲させてもらった。
声をかけてくれたのはなんとこの蔵の杜氏の人。泡盛を仕込んでいる秋村さんという方だった。
庭に面した座敷に案内され座布団に座ると、秋村さんから泡盛や沖縄のお話を伺いながら泡盛を試飲できた。
試飲の後は蔵の中も案内いただいた。
蔵は昭和初期に建設されたままとのことで、当時の面影が残る素晴らしいものだった。
動画以外は撮影が許可されたので画像を掲載する。
太平洋戦争で名護町内の建物のほとんどは破壊されたが、津嘉山酒造所の施設は戦災を逃れ、戦後は米軍のパン工場として摂取されたと秋村さんから伺った。
米軍が飛行機から撮ったという白黒写真も残されていたので見せてもらったが、焼け野原に津嘉山酒造所の施設だけぽつんと残っていて、戦災を逃れたというより、ここを米軍の施設として利用するために意図して建物を残したという感じに見えた。
実際に将校の部屋があったことが建物に刻まれている。
平成17年に「津嘉山酒屋保存の会」が発足して、その歴史的価値の保存と町中観光の拠点として様々な活用を目的に施設を公開しているそうだ。泡盛好きなら見学するべきだろう。
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