3-12:なまこ壁と富士山

甲州道中(旧甲州街道)を走る(4)富士を正面に韮崎宿〜甲府柳町宿

じてんしゃで甲州道中旧甲州街道)の韮崎宿から甲府柳町宿まで走行した記録(2025/11/2)

甲州道中(旧甲州街道)を分割して走る

甲州道中(こうしゅうどうちゅう)は、江戸時代の五街道のひとつで、日本橋を起点として山梨県甲府を経て長野県下諏訪に至る約220kmの主要幹線道路。現代の甲州街道(国道20号線)の旧道のこと。その甲州道中を下諏訪から日本橋方面に分割して走った(というか、まだ走っている途中)。

この記事は、韮崎宿〜甲府柳町宿の走行記録。下諏訪〜韮崎宿間の記録は下記。

ルートマップ(撮影ポイント付)

下図の青いラインが甲州道中。実際に走ったコースは赤い細いライン。

FLAMME日向山オートキャンプサイト

今回は山梨県北杜市白州町にあるキャンプ場に2泊した。FLAMME日向山オートキャンプサイトは標高800mの山中にあり、小規模なのでゆったりキャンプを満喫できる。

FLAMME日向山オートキャンプサイト

3-01:山梨・白州 FLAMME日向山オートキャンプサイト
3-01:山梨・白州 FLAMME日向山オートキャンプサイト

富士山を正面に走る

韮崎宿を出発

キャンプ場から韮崎中央公園までクルマで移動していざ出発。まずは韮崎宿本陣跡の石碑に向かう。途中、七里岩ラインを下っていると正面に富士山が!

甲府柳町宿までの甲州道中(旧甲州街道)は、富士山を正面に見ながら走れる。

3-02:七里岩ラインからの富士
3-02:七里岩ラインからの富士

10:30 韮崎宿本陣跡から甲州道中の旅を再開。

2-24:韮崎宿本陣跡
2-24:韮崎宿本陣跡

本町通りは南東に真っ直ぐ伸びていた。富士山も見える(下図右側)。

韮崎宿からの富士山(右に少し見える)
韮崎宿からの富士山(右に少し見える)

塩川を越す。ここから甲州道中(旧甲州街道)は韮崎市から甲斐市を通る。

3-03:塩川橋からの富士
3-03:塩川橋からの富士

塩川橋から塩川橋梁が見えた。中央本線塩崎〜韮崎間にある鉄橋。レンガの橋脚が美しい。

塩川橋梁
塩川橋梁

宇津谷の二十三夜塔

甲斐市に入り宇津谷を通過。

3-04:甲州道中(甲斐市宇津谷)
3-04:甲州道中(甲斐市宇津谷)

街道は民家を避けながらジグザグと折れ曲がり始めた。

3-05:甲州道中(甲斐市宇津谷)
3-05:甲州道中(甲斐市宇津谷)

町の外れに古い石碑が2つあった。Googleのレリックアイコンに「二十三夜塔」と記載されていた。

3-06:二十三夜塔
3-06:二十三夜塔

二十三夜塔は、旧暦23日の夜に集まって月を拝む「二十三夜講」の記念として建てられた石塔。人々が集まり飲食を共にしながら月の出を待つ行事を行い、悪霊を追い払うといった信仰が元になっており、全国に分布している。 月待塔(つきまちとう)とも言うようだ。

月待塔(つきまちとう)は、日本の民間信仰。特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行った講中で、供養の記念として造立した塔である。月待信仰塔ともいう。wikipedia

ちなみに十九夜塔や二十二夜塔というのもあって、こちらは女性主体による「子安講(安産・子育て・子どもの成長を願う)」の集まりのために造立した塔のようだ。

3-07:甲斐市宇津谷からの富士
3-07:甲斐市宇津谷からの富士

宇津谷からも、どーんと富士が見えた。

志田・下今井のなまこ壁

志田を通過。相変わらず街道の脇には民家が続いていた。民家は瓦屋根が多く、所々、下図のようななまこ壁の家もあった。

3-08:甲斐市志田のなまこ壁
3-08:甲斐市志田のなまこ壁

下今井を通過。街道は左に曲がった。

3-09:甲斐市下今井の富士
3-09:甲斐市下今井の富士

すぐに中央本線を潜って右へ。

3-10:中央線を潜る甲州道中
3-10:中央線を潜る甲州道中

下今井でも瓦屋根となまこ壁の民家が続いた。

3-11:甲斐市下今井のなまこ壁
3-11:甲斐市下今井のなまこ壁

なまこ壁とは、漆喰(しっくい)で壁土を塗り、その上にナマコ(海鼠)のような形の瓦を並べて漆喰で固めたもの。漆喰の防火・防水・防虫効果、そして耐久性・装飾性を備えている。 

3-12:なまこ壁と富士山
3-12:なまこ壁と富士山

竜王からの富士

甲斐市竜王と竜王新町を通過。ここからも富士山が正面に見える。

3-13:竜王からの富士山
3-13:竜王からの富士山

かつてここには竜王町が存在した。竜王は中世から使われている地名のようだ。

「竜王」は中世以来の地名で、一説によれば有富山慈照寺に湧く竜王水に由来するという。

wikipedia

中央本線の踏切を通過。左手には竜王駅がある。

3-14:竜王新町からの富士
3-14:竜王新町からの富士

国道52号・144号線へ

踏切の後、甲州道中(旧甲州街道)は国道52号線と144号線となり、賑やかな市街地を通過していく。

3-15:真福寺入口信号
3-15:真福寺入口信号

中央自動車道を潜ると甲府市に入った。すぐ横を流れる貢川に沿って走る。

3-16:貢川交番前信号
3-16:貢川交番前信号

甲府駅が近づき、いよいよ甲府柳町宿が近づいくると、道路がクランク状に曲がってきた。

中央本線甲府駅がある場所は、もともと甲府城があったところ。城の周りの道は、防衛上の理由から枡形(L字やコの字)となっているのだ。東海道では「曲尺手(かねんて)」と呼ぶところもある。

3-17:桜町通り
3-17:桜町通り

城下町にあった甲府柳町宿

11:40 甲府柳町宿があった場所に到着。下図の白いミニバンが駐車してある場所は旧本陣跡のようだ。

3-18:甲府柳町宿と本陣跡
3-18:甲府柳町宿と本陣跡

甲府柳町宿は、甲府城(現在のJR甲府駅)の南側にあったが、空襲で焼けてしまった。

3-19:桜東通り
3-19:桜東通り

軍事工場や飛行場がない甲府市がなぜ空襲にあったのか分からないが、とにかく何も残っていないそうだ。

3-20:甲州道中の桝形路
3-20:甲州道中の桝形路

土地の狭い間口や枡形路、魚町、桶屋町、鍛治町などの町名が当時の名残りなのだとか。

3-21:甲州道中の枡形路
3-21:甲州道中の枡形路

今回の甲州道中(旧甲州街道)を走るの旅はここまで。次回は来春。

距離:14.3 km
獲得標高(上り):59 m
下降標高:142 m
3-22:城東1丁目信号
3-22:城東1丁目信号
七里岩ライン
七里岩ライン

来た道を走って、キャンプ場へ戻った。

甲州道中を韮崎宿から甲府柳町宿を走ってみて

甲州道中は江戸時代の五街道のひとつで、日本橋を起点として山梨県甲府を経て長野県下諏訪に至る約220kmの主要幹線道路。現在も「旧甲州街道」の名で残っており、昔の街道の面影を感じることができる。

韮崎宿から甲府柳町宿までは14kmほどの距離で、進行方向に常に富士山が見えるので映える景色が撮れる。

距離:36.7 km
獲得標高(上り):304 m
下降標高:302 m
最高勾配:10.2 %
最小勾配:10.1 %
移動時間:2:33 hrs
3-01:山梨・白州 FLAMME日向山オートキャンプサイト
3-01:山梨・白州 FLAMME日向山オートキャンプサイト
七賢 甘酸辛苦渋
七賢 甘酸辛苦渋


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