後志は、日本海とニセコ連峰・羊蹄山などの山々に囲まれた自然豊かなエリア。この後志をニセコを拠点にサイクリングした記録。(4)はニセコと留寿都を往復した記録(2023/09/28)
目次
撮影ポイント付きルートマップ
後志(しりべし)とは
阿倍比羅夫が郡領を置いた後方羊蹄(しりべし)の語音にちなみ、後志国を流れる尻別川のアイヌ語「シリ・ペッ」(山の・川)を採り、音訳して後志としたもの。道南から道央にかけての地域に位置し、現在の後志総合振興局管内のうち虻田郡と小樽市銭函4~5丁目相当区域を除いた大部分と、檜山振興局管内のせたな町以北および奥尻島にあたる。
wikipediaより
留寿都へ出発
7時45分、後志サイクリングの拠点にしていた雪ニセコ(倶知安町)を出発。この日は留寿都まで往復した。留寿都は正確には後志地域ではないが、ニセコ発着だったので後志サイクリング記事シリーズに連ねた。
留寿都は、アイヌ語の「ル・スツ」(道が山のふもとにある)という意味。まさにこの日は道が山のふもとにある場所をサイクリングした。
雪ニセコ前の道道343号線をニセコ方面に進み、セイコーマート ニセコひらふ店がある交差点を左折して羊蹄坂を下って南下する。
そして後志川を渡り比羅夫駅に立ち寄った。
比羅夫駅
比羅夫駅は函館本線の駅。駅名は飛鳥時代の伝説を元に名付けられている。一日の利用者が3名以下という乗降人数の少ない駅。
旧事務室は民宿になっており、ホーム上でバーベキューを楽しむこともできる。駅舎をそのまま利用した民宿がある駅は、全国でこの駅のみ。
JR北海道が1日の平均乗車人員が3人以下の無人駅42駅の廃止を検討しているようで、この比羅夫駅も含まれている。廃止後も民宿の営業は続けるようなので機会があれば泊まってみたいもの。ちなみに現在の民宿は2025年の5月まで宿泊を受け付けている。
比羅夫駅を後にし、正面に羊蹄山を見ながら国道5号線へ接続。
まっすぐに伸びた国道5号線は、車速を上げられる快走路。正面には昆布岳が見えた。
ニセコビュープラザ
道道66号岩内洞爺線と交差した所にあったニセコビュープラザで小休止。
糖分を補給。チーズタルトとメロンゼリー。
道道230号 三ノ原ニセコ線
道道66号岩内洞爺線を少しだけ走って、道道230号 三ノ原ニセコ線に乗り換え。ここからクルマの交通量がぐっと減る(というか無い)。
真狩村
ダチョウたちに挨拶して、真狩村へ。
真狩村に入ると尻別岳が見えてきた。
真狩村はあの有名人の生まれ故郷。碑や銅像が立てられていた。
道路の向きが北に変わると羊蹄山が視界に入った。
また、道路の向きが東に変わると今度は尻別岳が視界に入った。真狩村も「道が山のふもとにある」場所だ。
道道66号岩内洞爺線
午前11時、真狩村の中央にある道の駅 真狩フラワーセンターに到着。道の駅でトイレを借りて、売店で水分を補給。気温が高くなってきたのでグズグズしてると太陽が牙を剥くので直ぐに出発。
尻別岳を背景に道道66号岩内洞爺線の標示を撮影。ほどなくすると真狩村と留寿都村の境に着いた。
道の駅 230ルスツ
午前11時40分、「道の駅 230ルスツ」に到着。ここを折り返し地点として、来た道を戻る。
ちなみになぜ230なのかというと国道230号線に面しているから。道の駅では、箱入りじゃがいもコーナーがあり、大量のじゃがいもが販売されていた。美味しそうだったが、じてんしゃでは運べない。
復路、右手に羊蹄山。
羊蹄山の真南からは山容をスッキリ見られるポイントがある。
再び、道の駅 真狩フラワーセンターに戻ってきた。今度は休憩を兼ねて水分と糖分を補給。赤しそドリンクとゆり根のパイまんじゅう。ニセコビュープラザにも戻ってきて再び水分と糖分を補給。
ニセコビュープラザの近くには、自転車の道の駅もあった。ニセコサイクルオアシスという名称で羊蹄ニセコ自転車走行協議会が運営しているようだ。
ニセコ町を通過してニセコ駅に立ち寄る。ニセコ駅には、鉄道遺産群があるのでチェックだ。
ニセコ鉄道遺産群は、以前訪れた時より展示が増えアップデートされていた。2020年にニセコエクスプレスが公開されたようだが、この日は倉庫の中にはいいていたので姿は確認できなかった。
雪ニセコ 最後の晩めし
留寿都を往復したこの日を含め、雪ニセコを起点にした後志サイクリングは4日間のツーリングとなった。最後の晩は、1Fレストランで晩めしを食べた。
冬期のニセコはスノーリゾートを楽しむ外国人でいっぱいになるが、夏は閑散期なのでどこも空いていて快適に過ごせる。9月の北海道後志は気温こそまだ高いが、湿気がないのでサイクリングに向いていると思う。またぜひ訪れたい。
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