日本海に夕日が落ちる頃に直江津の船見公園に集合するだけのイベント「直江津集合!」。4年ぶりに参加した。(2)は、軽井沢から長野まで旧中山道と旧北国街道を走った記録(2023/8/25)
目次
ルート
2023年のルートは次のとおり。
日時 | 区間 | ルート | マップ上のライン |
8月20日(日) | 渋谷区〜板橋区赤塚 | 都道420号線、都道442号線 | グレー |
板橋区赤塚〜埼玉県川越市 | 川越街道 | レッド | |
埼玉県川越市〜群馬県高崎市 | 児玉往還・中山道 | グリーン | |
8月25日(金) | 高崎駅〜軽井沢駅 | 旧中山道 | イエロー |
軽井沢駅〜長野駅 | 旧中山道・旧北国街道 | パープル | |
8月26日(土) | 長野駅〜直江津港 | 旧北国街道 | ブルー |
撮影ポイント付きルートマップ
(2)はパープルのラインを走った。高崎から軽井沢間の旧中山道(イエローのライン)は碓氷峠が通行止めだったのでスキップ。
東京から軽井沢まで輪行
前週の渋谷〜高崎区間は、暑さとの戦いだった。1週間カラダを休養し「直江津集合!2023」本番前日を迎えた。
行程2日目となるこの日は、高崎〜長野までを走る予定だったが、国道18号線の碓氷峠が崩落して不通となっているため出発地点を軽井沢に変更。都心から軽井沢までは電車で輪行した。
大宮までは埼京線、その先軽井沢までは北陸新幹線で輪行
大宮駅から乗った新幹線の社内ででっちーさんと合流、7時32分に軽井沢駅へ着いた。
旧中山道
午前8時、快晴の軽井沢駅を出発。まずは国道18号線を走り、軽井沢中学前踏切を渡って旧中山道に入っていく。ウェアはカラダに密着しないRaphaの「TRAIL 3/4 SLEEVE JERSEY」を着た。アンダーウェアは無しだ。
途中に馬頭観音があったりする古道・旧中山道はクルマの通行量が少ない道路。我々にとってはとてもありがたい。
旧北国街道
中山道と北国街道の分岐点、追分宿
旧中山道の追分宿から旧北国街道へ乗り換える。ここからマップのパープルのラインを走る(上図参照)。
標高が1,000m近くある軽井沢町追分の気温は25度。さしてペダリングせずとも進んでいく下り基調なので快適そのもの。汗など無縁なサイクリングだ。
北国街道で史跡巡り
旧北国街道を国道18号線と脇道行ったり来たりしながら西に進む。途中、明治天皇に関する史跡があったので停車して見学。上図は145年前の1878年に、明治天皇が東海・北陸を巡幸(じゅんこう)した際に休まれた場所。
松本方面の山並みを遠くに眺めながら長閑な道を進む。
9時40分、小諸市に入ると旧北国街道はにぎやかになる。旧北国街道の小諸宿は3つのエリアに分かれており、それぞれに江戸時代の建物や街道の遺構が多く残されている。
本町エリアの脇本陣・旅籠だった粂屋(くめや)の前でじてんしゃを停車し写真を撮っていたら、施設の人が出てきた。軽井沢を出発して長野駅に向かうことを告げると「暑いから気をつけて」と声をかけられた。
小諸宿を抜けると旧北国街道は再び長閑な景色となった。
東御市滋野あたりでは、旧家が建ち並ぶ道幅の狭い道路となる。
和菓子店があったので停車。じてんしゃ乗りは、補給所を絶対に見逃さないのだ。レモンとずんだの餅菓子を補給。
前方に見えるのは北アルプス稜線上の山なのか、それとも北アルプス前衛の山々なのか再び長閑な道を走る。
田中宿・海野宿
10時30分、旧北国街道の田中宿に到着。
田中宿は江戸時代は隣の海野宿と共に宿場として栄えたが、千曲川の大氾濫により宿場の機能を失った。その後、製紙業や繭糸の集荷などで栄え現在に至っている。田中宿の中心地は、下図の田中駅前の交差点の東側付近にあったと言われている。
田中宿から走って10分、10時40分に海野宿へ到着。
海野宿は、江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の建物、明治以降の蚕室造りの建物が調和した伝統的な家が並ぶ。
道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史を感じさせる静かな佇まいだ。建物には、特徴的なデザインの「卯建」がある。
「卯建」は、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁のことで、裕福な家しか「卯建」を造ることができなかったため、庶民の願望から「卯建を上げる・卯建が上がらない」の言葉ができたんだとか。
千曲川に沿って再び、旧北国街道を走り出す。途中、名所史跡に立ち寄りながらゆるゆると進む。
川の流れが岩に当たる音が太鼓の音に似ていることからその名が付けられた「太鼓岩」も見た。しかしこの日の千曲川は流れが穏やかで太鼓の音を聞くことなかった。
上田宿
11時20分、上田宿のあった上田市に入る。
戦国の世に上田城の城下町として栄えた上田宿。古い家並みが続き、現代においても江戸時代の面影を残している街。
鼠宿
鼠宿(ねずみじゅく)は、北国街道の間の宿(あいのしゅく)であり、上田宿と坂木宿の間に位置している。不思議な形をした太鼓橋が會地早雄神社の前を通過。
坂木宿(坂城町)
そろそろお腹が空いてきた昼時に、googleマップで「蕎麦屋」と検索。旧北国街道の坂城町あたりに蕎麦屋があったので吸収される。気温もだいぶ上がってきたので、食事と休憩を兼ねて大休止だ。
良竺庵
長野県埴科郡坂城町南条 Tel 0268-82-1567
江戸時代、北国街道の坂木宿には陣屋が置かれ幕府代官による支配が行われていた。「坂木」から「坂城」の表記へ改められたのは、1886年(明治19年)になってから。
旧北国街道は、しなの鉄道坂城駅のあたりでクランクする。クランクするところで坂城駅が見えた。瓦屋根がいい感じだったので立ち寄ってみた。
すると線路脇に見慣れた湘南カラーの電車を発見。近づいてみると停車している電車ではなく静態保存された車両だった。こちらの169系電車は、主に信越本線の急行列車として上野−長野間、上野−長野間-直江津間、上野-湯田中間を走っていたそうだ。
13時を過ぎ、気温がぐんぐんと上がってきた。旧北国街道を北上する。
北国街道は千曲市磯部あたりから、一部国道18号線となる。国道を避けて脇道へ入ってみるとなかなか良い景色と出会った。
中部北陸自然歩道は環境省が整備した歩道で、旧街道の北国街道、三国街道、中山道をメインルートとし総延長が4,091kmもある。
少し先に戸倉駅があったのでついでに寄ってみる。戸倉上山田温泉の玄関口となっている戸倉駅は、昭和の雰囲気が漂うローカルな駅。
戸倉駅の先から再び旧北国街道を走る。横町信号でクランクして北上していく。
千曲川と越して丹波島宿へ。そして犀川も越す
旧北国街道は、日本一長い千曲川(信濃川)を越す。江戸時代の「渡し」があった場所には橋が架かっていないので、私たちは一旦国道18号線の篠ノ井橋で川を渡って、対岸の「矢代の渡し跡」から再び旧北国街道に戻った。
「矢代の渡し跡」があった場所には、国道18号線の篠ノ井橋の他に、しなの鉄道の千曲川橋梁、北陸新幹線の第三千曲川橋梁が架かっている。ここは今も昔も交通の要衝だ。
15時40分、丹波島宿があった丹波島あたりに到達。丹波島宿は犀川越えの渡しを控えた宿場。
犀川右岸の西側に「丹波島の渡し」という碑が建っていた。渡し口はもう少し東にある現在の丹波島橋南詰だったようだ。
長野駅
犀川を越すとすぐに長野駅周辺となる。善光寺宿は目前だが、この日は駅近くのホテルに投宿。酒と信州の肴と蕎麦で疲れを癒やす。
翌日はいよいよ直江津を目指す(続く)。
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