日本海に夕日が落ちる頃に直江津の船見公園に集合するだけのイベント「直江津集合!」。4年ぶりに参加した。(3)は、長野から直江津まで旧北国街道を走った記録(2023/8/26)
目次
ルート
2023年のルートは次のとおり。
日時 | 区間 | ルート | マップ上のライン |
8月20日(日) | 渋谷区〜板橋区赤塚 | 都道420号線、都道442号線 | グレー |
板橋区赤塚〜埼玉県川越市 | 川越街道 | レッド | |
埼玉県川越市〜群馬県高崎市 | 児玉往還・中山道 | グリーン | |
8月25日(金) | 高崎駅〜軽井沢駅 | 旧中山道 | イエロー |
軽井沢駅〜長野駅 | 旧中山道・旧北国街道 | パープル | |
8月26日(土) | 長野駅〜直江津港 | 旧北国街道 | ブルー |
撮影ポイント付きルートマップ
(3)はブルーのラインを走った。
長野駅から出発
2日目は軽井沢駅から長野駅まで走った。3日目は、いよいよ直江津の集合場所までの移動。午前7時に長野駅前のホテルを出発。この日も旧北国街道の旅だ。
長野駅から真北に進んで、善光寺を右折。県道399号線を進行。
長野市吉田で左折して県道60号線に乗り換え。道幅はぐっと狭まりいかにも旧街道という感じの道となる。
駒沢川を越えると(上図)、平野部が終わり、旧北国街道は徐々に高度を上げていく。
上水内郡飯綱町へ
桃が成る平出
旧北国街道は県道60号線を離れ、下図の場所でさらに細い道へ分岐。分岐する少し手前から上水内郡の飯綱町となった。
このあたりの旧北国街道は、クルマの往来が少なくてとても走りやすい。
高台に上がってくると、道の左右に同じような背丈の木にたくさん実が成っていた。赤い実だったのでリンゴかと思っていたが桃のようだ。
街道の目印、三本松
飯綱町平出で再び県道60号に合流。眼の前にこんもりとした一里塚のような場所が現れた。ちょうどコンビニもあったので小休止することに。
近づいてみると一里塚に見えたのは、大きな3本の松の木だった。
あとで調べてみたら、飯綱町観光協会のサイトに下記の記載があった。
行人塚に植えられた三本松は、江戸時代から旅行く人の目印として知られた。樹齢200年といわれた先代の松が枯死したあと、昭和26年(1951)に今の後継樹が植えられた。
飯綱町観光協会
牟礼の一里塚と十王堂、金附場跡
午前8時45分、再び走り出す。飯綱町牟礼に入るとまた大きな木が出現した。今度は一里塚のようだった。大きな木は四ツ屋のエノキというらしい。
北しなの線の線路を潜り、八蛇川を越すと街が現れた。牟礼本町商店街だ。
商店街を過ぎると、旧北国街道はお寺に突き当った。道は直角に左へ曲がっていて急坂となっていた。坂の名は「十王坂」。
「北国街道牟礼宿十王坂」の碑を横目に坂を上がっていくと、途中に、「十王堂」がある。
十王堂については飯綱町観光協会のサイトに下記記載がある。
死後の世界をつかさどる十人の王をまつったお堂。 〜中略〜 十王とは私たちが亡者になって仏様の世界に入って行く時、 生前の罪業の軽重を裁判し次に生まれて来る世界を決定する冥土の十人の裁判官である。 そして、亡者は供養によって、これらの仏様に救われて仏界に送られるという。 堂と十王石仏は明治天皇北陸巡幸のとき一時撤去され、 平成2年(1990)旧地の斜向かいに再建された。堂前の坂道を十王坂と呼んでいる。
飯綱町観光協会
坂の上には、金附場跡(かねつけばあと)という史跡があった。
案内板には下記の記載があった。
「金附場」は、江戸時代、佐渡ヶ島で採掘された金銀を江戸まで輸送する途中に設けられた中継施設です。〜中略〜野尻湖版の御金蔵(ごきんぞう)で一夜を明かした金銀荷物は、午前中に牟礼金附場で新しい馬の背に付け替え、昼までに善光寺宿へ継ぎ送るのが高齢であったようです。〜後略〜
この街道は、はるか佐渡島の対岸、出雲崎まで続いている。北国街道が「金の道」でもあることに気づかされた。
さて、史跡を後にして前進すると上り坂が現れた。里山の中に入っていくようで、アスファルト道路がダート道に変わった。++
ダート道を歩いて上がっていくと今度は道が2つに分かれた分岐が現れた。土の道が江戸時代の古道で、舗装道路が明治9年にできた迂回路。我々は左の土の道に進んだ。左は傾斜がきつくじてんしゃに乗るのは難しかった。上り終えたところに一里塚があった。
上水内郡信濃町へ
北国街道の落影と古間宿
里山を下ると信濃町となり国道18号線に一旦合流する。合流したところに案内板が立っており、「北国街道(落影)」とある。
落影は古間宿と牟礼宿の中間にあたり、旅人たちが休憩する立場(たてば=茶屋)があったそうだ。小玉一里塚があった里山は、なかなかの急坂だったので、茶屋があったら今でも休んでいく人はいるだろう。
小古間で直角に右折。
そして、旧北国街道の古間宿に到着。時刻は午前10時8分。
戸隠山道、野尻湖
古間宿を通過すると、旧北国街道は国道18号線に合流する。小林一茶旧宅を過ぎた左側に古い道標を発見。「従是(これより)戸隠山道」とある。左に進めば、戸隠方面だ。
2011年に直江津に向かってる時に通った道だ。
黒姫物産センターの駐車場で再び小休止。飲料の自動販売機で給水。
いつものお店で焼とうもろこしを食べて、野尻湖に到着したのは午前11時ちょうど。
新潟県妙高市へ
長閑な田切、関山
野尻湖を過ぎると、道は日本海へ向けて下り基調となる。旧北国街道は赤川一里塚のあたりで国道18号線を離れ、再び道幅の狭い市道へと入っていく。県境を流れる関川を越えるといよいよ新潟県だ。
さらに白田切川を越えて、妙高市田切へ。
そして、妙高市関山を走る。
旧北国街道は、新潟県妙高市に入り田切、関山あたりの道は長閑でとても走りやすい、動画もあるのでぜひご覧ください。
妙高はねうまライン二本木駅
妙高はねうまラインの関山駅を越えて少しすると、旧北国街道は一旦上越市へ入る。そして次の駅である二本木駅が現れた。二本木駅はスイッチバックを備える駅なので立ち寄るってみることに。
妙高はねうまラインは、えちごトキめき鉄道が運営する第三セクター鉄道。
二本木駅の駅舎は、100年以上前の1910(明治43)年に建築され、その後、何度か改修されている。2018年に行われた補修工事で、かつての姿が復元されている。二本木駅前の各種施設は2019年に登録有形文化財に登録されている。
二本木駅は山あいにある駅なので、駅付近は線路の勾配がきついため、その途中で列車を停止させたり発進させたりするのが困難だったよう。そこで、勾配を緩くした引き込み線を設けて、そこにホームを設置。列車は引き込み線に出入りするため、前進、後退できる。これがスイッチバック駅の仕組み。
時刻表をみるとそろそろ電車がやってくる時間だったので、そのスイッチバックの様子を見学しようと待ってみたが、電車は入線してきたがいくら待っても引込線の方に来なかった。しかたなく駅を後にする。
再び妙高市へ
再び妙高市へ入り、田町を通過する。街道の両脇には商店や家が多くなってきた。このあたりは旧北国街道の新居宿だ。
街道沿いには造り酒屋もあった。
新井は豪雪地帯として名高く、冬の降雪量は10メートル以上になる時もあるそうだ。しかし、豪雪が天然の冷蔵庫となり、妙高山麓の豊富な水に恵まれ、酒造りには最適な環境となっているようだ。
上越市へ
旧北国街道は、矢代川に沿って真北に向かい日本海を目指す。上越市に入ると直江津港はもうすぐそこだ。
かつて高田城があった高田城址公園の手前で、旧北国街道は一度クランクする。
高田宿があった高田の雁木通りを通過。この雁木造りも豪雪地帯ゆえの構造物。
道路標識にも「直江津」の文字が表示され始めた。ゴールは間もなくだ。
日本海ひすいラインの線路を跨ぐと潮の香りがしてきた。日本海だ。
2023年も直江津集合!
午後3時10分、集合場所の直江津港船見公園に到着。
「直江津集合!2023」を無事完走した。
2023年は台風7号の影響によって、旧国道18号線の碓氷峠が通行止めとなってしまい、高崎駅と軽井沢駅の間をスキップしてしまったけれど。
集合時間の日没までだいぶ時間があったので、一旦宿泊するホテルへ移動。すると、その合間に落雷と土砂降りの雨が降ってきた。
LINEグループのトークを見てみると、池田くんが直江津に向かってきているという。なるほど、お約束の出来事だ。
午後6時過ぎに、日没を待ちながら完走を果たした皆さんと一緒に「直江津集合ー!」とガッツポーズ。
この日、日本海に沈む太陽は見ることができませんでした。
日没を待っている間に、皆とおしゃべりしながらひと時を共有して解散。「直江津集合!2023」が終わりました。
夜は有志による打ち上げが行われました。これも「直江津集合!」の楽しみのひとつ。
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